れないが、今日《こんにち》までその遺物《いぶつ》が少《すこ》しも見《み》つかつてをりません。それゆゑ今《いま》までのところでは、日本《につぽん》で一番《いちばん》古《ふる》いのは、新石器時代《しんせつきじだい》のものでありまして、それから金屬器《きんぞくき》の時代《じだい》につゞいてゐるのであります。
さて日本《につぽん》はいつ頃《ごろ》まで石器時代《せつきじだい》であつたかと申《まを》しますに、よくはわかりませんが、少《すくな》くとも今《いま》から二千年程前《にせんねんほどまへ》まで石器《せつき》の使用《しよう》が殘《のこ》つてゐたようであります。そして、その前《まへ》の千年間《せんねんかん》ぐらゐも石器時代《せつきじだい》であつたかと思《おも》はれますけれども、そのへんのことになると、殘念《ざんねん》ながら年數《ねんすう》を明《あきら》かにすることが出來《でき》ません。
日本《につぽん》でも昔《むかし》から百姓《ひやくしよう》が土地《とち》を耕《たがや》したり、山《やま》が崩《くづ》れたりした時《とき》、ひょっこり石器《せつき》の發見《はつけん》されたことが屡々《しば/\》ありましたが、昔《むかし》はそれらの石器《せつき》を人間《にんげん》が造《つく》つたものとは思《おも》はないで、石《いし》の斧《をの》を見《み》て雷神《らいじん》が落《おと》したものであるとか、あるひは石《いし》の矢《や》の根《ね》を見《み》ては神樣《かみさま》が戰爭《せんそう》した時《とき》の矢《や》であると考《かんが》へたり、あるひは自然《しぜん》に出來《でき》たものであると信《しん》じたりしてゐました。
[#「第三十四圖 木内石亭翁」のキャプション付きの図(fig18371_35.png)入る]
もっともかように考《かんが》へたのは日本《につぽん》ばかりでなく、西洋《せいよう》でも支那《しな》でも昔《むかし》はみな同《おな》じように思《おも》つてゐたのでありました。またこの不思議《ふしぎ》な石《いし》をよせ集《あつ》める物好《ものず》きな人《ひと》があつて、中《なか》にずいぶんたくさん集《あつ》めた人《ひと》もありました。中《なか》にも有名《ゆうめい》なのは、今《いま》から百年《ひやくねん》ばかり前《まへ》に、近江《あふみ》に木内石亭《きのうちせきてい》といふ人《ひと》で、これらの
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