《ぎゆうば》の力《ちから》を借《か》りたかもわかりませんが、多《おほ》くは人力《じんりよく》をもつてなされたものに相違《そうい》ありません。ですから當時《とうじ》において既《すで》に協同一致《きようどういつち》して爲事《しごと》をする一《ひと》つの團體《だんたい》、社會《しやかい》といふものが出來《でき》てをり、またそれを支配《しはい》して行《ゆ》く頭《かしら》、すなはち酋長《しゆうちよう》のようなものがなくては、とうていかような爲事《しごと》は出來《でき》ますまいから、この大工事《だいこうじ》の遺物《いぶつ》を見《み》たゞけでも、當時《とうじ》の社會状態《しやかいじようたい》が察《さつ》することが出來《でき》ます。また二十尺《にじつしやく》も三十尺《さんじつしやく》も高《たか》い石《いし》を兩側《りようがは》に立《た》てゝ、その上《うへ》に横《よこ》に巨石《きよせき》を載《の》せてあるものなどは、たゞ人力《じんりよく》だけでもつてなされるものではなく、種々《しゆ/″\》工夫《くふう》を凝《こら》したものでせう。それには遠方《えんぽう》より土《つち》を次第《しだい》につんで傾斜《けいしや》した坂道《さかみち》を築《きづ》き上《あ》げ、それへ石《いし》を押《お》し上《あ》げてこれを縱《たて》に落《おと》し立《た》て、それからその上《うへ》に横石《よこいし》を載《の》せたもので、坂道《さかみち》の土砂《どしや》はその後《ご》除《のぞ》き去《さ》つたものと想像《そう/″\》されるのです。
 かような大《おほ》きな巨石記念物《きよせききねんぶつ》は、博物館《はくぶつかん》に運搬《うんぱん》して來《く》ることはとうてい出來《でき》ませんから、そこにある模型《もけい》と寫眞《しやしん》によつて、皆《みな》さんはその大體《だいたい》を知《し》る外《ほか》はありませんが、たゞ館《かん》の中庭《なかには》にはあのどるめん[#「どるめん」に傍点]の小《ちひ》さいものを、原状《げんじよう》のまゝ持《も》つて來《き》て据《す》ゑてありますから、後程《のちほど》庭《には》へ出《で》て御覽下《ごらんくだ》さい。そしてその石室《せきしつ》にはひつて見《み》られたならば、一番《いちばん》小《ちひ》さいどるめん[#「どるめん」に傍点]でも、どれだけの大《おほ》いさであるかゞわかり、從《したが》つて大
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