考古學教室の思ひ出話
濱田耕作

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 明治四十二年史學科の組織が略ぼ出來上つた次の年の九月に、私は講師として始めて本學へやつて來たのでありますから、創立の際に關する事は一向私には分りませんので、たゞ考古學教室に關することだけに就いて少しく申上げることに致します。
 東京帝國大學には理學部に人類學の講座があり、坪井正五郎先生が其の教授として、傍ら考古學の講義をせられて居ましたので、私なども文科の學生でありますが、之を聽きに行つて居りました。處が京都帝國大學で史學科を設けることになつては、どうしても將來考古學の講座を作らなければならないと云ふ考が、創設の際から内田、原、桑原、小川、内藤、三浦などの諸教授の間にあつて、それを何うするかと云ふ問題になりまして、出來上つた學者を聘するよりも、若い人間を養成しようと云ふことになり、遂に私如きものが本
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