。「明天點鐘爾來」と怪しげな支那語が通じたと見えて、翌朝早く件の支那人が來た時には蘇生の思ひをした。温泉に關係もない旅行談は餘り過ぎると叱られるから之で止める。
六 日本の温泉
日本の温泉に私の這入つたのは、山形縣上の山温泉が抑も最初で、七歳の時である。隣家のT氏の家族に連れられて行つたと覺えてゐるが、會津屋と言ふ旅籠の廣い浴槽で泳ぎ廻つた嬉しさ。私の少年時代の追憶として、T氏の令息との友情と共に忘れ難いものゝ隨一である。會津屋の婆さんは、夙くの昔に世を去つたのであらうが、當時一歳下のN君は今や敏腕の外交官となつてゐる。伊豆の熱海から伊東、修善寺、湯ヶ島の温泉と廻り歩いたのは、大學時代の修學旅行であり、箱根、鹽原の温泉は中學の生徒を引率して行つたのが始めである。城の崎の温泉は應擧寺を見に行つた時に始めて這入り、薩摩指宿の温泉は石器時代の遺跡を掘りに行つて經驗した。此の開門嶽麓の温泉は、定めし石器時代の人民も知つて居つたことであらうが、日本中で今日でもなほ石器時代の温泉と言ふ可き原始的の處である。加賀の山中や豐後の別府は、近年漸く足を踏み入れた。
併し私は必し
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