緩傾斜になつて仕舞つた。併し名に負ふ温泉は、今も華氏百〇四度の温度を保つて硫黄泉として存在して居る。其の水の色は青緑色の海水の如く、「キトロイ」と稱する陶槽を用ゐて此地の住民が之を利用して居つたことは、紀元一世紀の「希臘のベデカー」であつたパウサニアスが夙に記して居る處である。私は二ヶ月の希臘旅行中、此のテルモピレーを訪ね得なかつたことは、最も殘念に思つた處の一であつて、ケロニヤから南下する時にテスサリヤの山を望んで幾度か嘆息した所であつた。

          二 伊太利の古い温泉

 火山國である伊太利に温泉が豐富であることは今更言ふ迄もないことであり、羅馬人の以前早くエトルスキも、エトルリヤ各地に湧き出でる温泉を利用したことは想像に足る。例へばヴイテルボの附近にある古へのアクワ、パスセリスの地の如きは其の一であるが、エトルスキ時代の浴場の設備の著しいものは殘つて居ない。浴場は希臘に於いても格段なものは少く、羅馬に至つて遂に宏大な「テルメ」なるものが發現したが、此等は多く自然の温泉場ではなくて、大都會に於いて人工を以て冷水乃至高温の浴を取る爲めに作られたものである。併し隨所に湧出
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