書院の御殿も亦和風であるが、石の拱橋だけが支那風である。優雅な庭園の一端には、勸農臺と言ふ見晴しがあり、島尻の平野丘陵を望み、昔國王はこゝから人民の農業に從ふ所を見たと言ひ、又支那の册封使がこゝに來ても、沖繩の島の小さいことを隱す爲めに、海が少しも見えない樣になつてゐるとのこと。但し今は遠い丘陵の樹木がなくなつて少し位海岸の隱見してゐる處もあるが、とにかく廣い見晴しである。歸途には人家の石垣の上に生えてゐる「大谷ワタリ」を記念に取つて歸り、又高倉のあるのを見た。
 宿へ歸つて中食をして、二時出帆の船に乘らうとすると、出帆が五時に延びたとのことで、圖書館や縣廳へ挨拶に行く時間が見つかつた。いよ/\四時過ぎ臺南丸に乘込むと、丁度前内務部長が歸國せられるのを送る人々で、船も岸も見送りの男女で一ぱい。私は丁度京都へ歸られる福原君と行を同じくした上、はからず臺灣からの歸途、此の島に立寄られた農學部の沼田教授とも同船したので、神戸まで四日の船路の淋しさを忘れることが出來た。
 やがて臺南丸は埠頭を離れて港外へ搖ぎ出した。數日の間さながら古い友達の樣に親切にして下さつた西山、眞境名[#「眞境名」は底
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