だ分化しない状態にあると言つても宜いが、同時に又女連は女給であり、藝妓であり、又娼妓である凡ての性質を保存してゐる處に善い點がある。從つて此の遊廓に出入することは、必しも士君子の排斥を買ふことでないとも聞いたが、歸洛後伊波君の『沖繩女性史』を拜見すると、斯の如きは明治維新後、内地から獨身者の縣官などが來て、自から馴致した惡風であると書いてあつたので恐入つてしまつたが、それにしても彼等は朝鮮の妓生と共に、昔の白拍子的の遺風を傳へてゐる、現代に於ける可憐なる一つの存在である。之を呼ぶに尾類《ズリ》の文字を以てするのは、如何にも殘酷な氣持がすると思ふのは私ばかりではあるまい。

          二一 識名園、沖繩の別れ

 昨夜遲く宿へ歸ると、病院の中川君が待つて居られて、古い琉球の型染の衣裳や、下手物の陶器などを持つて來られ、私は坐ながらにして好箇のお土産を獲ることが出來た。さて私の沖繩滯在の最後の日は午前中西山君に伴はれて、小竹君、島袋君と共に、首里の西南部にある尚家の南苑識名園を拜見することが出來た。規模は必しも大きくないが、大體は日本風の庭園で、心字形の池の中島には六角亭があり、
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