る。又「弘治十三年九月」云々の字があつたとも言ふから、大體の年代は知ることが出來るが、古くからある此の墓所に、その後新しい時代、否な最近にも骨を持ち込んだに違ひない。幽芳氏の本やシモン氏の論文には、此の墓の委しい記事があるから、其れを見ることにし、私は氣味の惡い此の墓を怱々遁げ出した。
此の墓に就いては、或は四百年前亡んだ尚徳王の遺臣を葬つたのであると言ひ、或は尚巴志王に亡ぼされた北山の王族の墓であるとも言ふが、とにかく慶長頃即ち三百餘年前、北山王の末裔が六百數十金を投じて之を修理し、木造の社殿を作つたことは事實で、幽芳氏は其の圖を著書中に載せてゐる。
山を下つて懸崖の下に作られてある稍々新しい墓を覗くと、之には中に骨壺が一ぱい、奧の方には木棺や、白骨がウヨ/\してゐる。私はこんな墓を調査に此の村へ滯在し、白骨と枕を並べて寢たT・K博士の熱心には、專門の學問とは言へ敬服せざるを得ない。
一八 今歸仁城と勾玉
今歸仁と書いて「ナキジン」と讀むことを覺えたのも、沖繩へ着いて以來、即ち數日前からのことであるが、此の北山王の故城のある今歸仁の城にこれから出かけるの
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