の村では高倉を見、また山原の女が額から掛けた竹籠を脊に運ぶのを見た。此の竹籠を一つ買ふことにし、或る店に頼んで歸りがけに受取ることにした。これから先きの街道人家の前には、例の豆腐を並べて賣つてゐるのが行列をしてゐた。運天の港には裏山から這入り、先づ東郷大將の筆になる源爲朝上陸の碑のある處に登ると、小さいキレイな港が眼下に廣がつてゐるが、碇泊してゐるのは、爲朝でも乘つて來さうな小船が一つ二つ、永萬元年鎭西八郎が運を天に任せて、逆卷く怒濤を冒して此の港に辿り着いたか否かは、史實として證明しかねるとしても、慶長十四年島津氏が百艘の船を以て琉球入をしたのは確かに此處からであつた。
一七 百按司墓
爲朝の碑の下山腹の懸崖には、有名な百按司《もゝぢやふ》の墓といふ古いガマ墓がある。樹の繁みを分けて行つて見ると、多くの墓のうちにも今は石垣を圍らした洞穴がある。垣を越えて内へ這入つて見ると、木棺が數箇已に朽ち果てゝ、中から白骨が無慘に露出してゐる具合は、上ン土の墓を暴露した樣なものである。菊池幽芳氏の『琉球と爲朝』には、其の木棺の一に「ゑさしのあし」と墨書したものがあつたとあ
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