に備へんが爲めに、この中城に忠臣|護佐丸《ごさまる》(毛國鼎)が城を構へたのは尚泰久王の時であつた。當時勝連の繁榮と阿摩和利の聲譽は、
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「勝連《かつれん》はなれにぎや譬へる、
倭《やまと》の鎌倉《かまくら》に譬へる、
氣も高はなれにぎや」
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とオモロに歌はれ、
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「百踏揚《もゝとふみあがり》や、けさよりやまさて
百《もゝ》と按司《ちやら》の、主《ぬし》てだ、なりわちへ、
君の踏揚や、首里《しより》もり城《ぐすく》、
眞玉《まだま》もりぐすく」
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と羨まれた其の配|百十踏揚《もゝとふみあがり》姫は、私達が昨夜旭劇場で見た美くしい夫人で、尚泰久王の女であつたが、護佐丸を除かんとして阿摩和利は、彼自身に對しての兵を修めてゐるのを以て、却つて王に對して叛逆の志を抱いてゐるのであると讒した。之を信じて王は阿摩和利を將として中城を襲はしめたが、此の時護佐丸は王に申開きをする術もなく、さりとて王の軍勢に抗するを屑とせず、遂に恨を呑んで妻子と共に自殺してしまつたのであるが、此の本丸こそ此の悲劇の演ぜ
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