られた舞堂である。國亡びて山河あり、城春にして草木深し、此夜阿摩和利劇を見、今日親しく此の城址に立つた私には殊に感慨が深かつた。
 村役場の建物は床の間などに可成古い跡が殘つてゐるが、固より護佐丸當時のものではなく、護佐丸の遺物と稱する煙草盆の類も、今更評する迄もないが、乾隆五年と十年に出來た此の地方の古い地圖は、郷土研究には非常に參考になると思ふ。我々はやがて喜捨場の小學校へ引き返して、携帶の辨當を使ひ、校長夫人の心盡しになるドウナツの御菓子などを有難く頂戴した。

          一五 伊波貝塚から名護へ

 喜捨場から北進して、氣持のよい田舍道を二時間足らずで伊波へ着いた。こゝでも小學校の校長先生の案内を煩はして、學校の東北にある貝塚へ行く。隆起珊瑚礁が庭石の樣に起伏する間に、蘇鐵の株がこれ亦た庭木の如く繁茂してゐる。「貝塚は此處です」と指された處は、石川村の方に降りる小徑が、階段の樣についてゐる數十尺の懸崖の中腹であるのには驚いてしまつた。此の東方海に向つた崖は、或は昔し脚下に碧波を見る海沿ひであつたにせよ、さても此の危險極る不便な處を選りに選つて、人間が住居を構へるとは不
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