してゐる。貝殼の散布も極く少なく、土器に至つては小破片さへも殆ど見付らない。鳥居君をはじめ、松村君等があれ丈けの發掘物をせられたのも、可成の勞力であつたらうと今更ながら現場を見て感ぜられる。併しとにかく此處は沖繩に於ける最初に發見せられた貝塚として、永久に記憶せらる可き處であらう。
丘を下つて東に進むと、車はやがて中城々址の丘の麓に停り、我々は車を捨てゝ城址に登つて行く。
一四 中城々址
中城《なかぐすく》々址の寫生圖と其の平面圖めいたものは、ペルリの琉球訪問記に載せてあつて、當時艦隊の探檢團が、此の邊までもやつて來たことが詳しく記されてゐる。此の城は大體石垣の具合などは、日本内地の城に似てゐるが、アーチ形の小門などのある處は、如何にも琉球的である。ペルリ艦隊員の賞讃を博した通り頗る面白く出來てゐる。我々は蔦葛の纏つてゐる石垣の上に出で、村役場になつてゐる建物のある本丸の處から眺望を肆にすると、脚下には中城灣の碧波が跳り、直向ひには勝連《かつれん》城のあつた與勝半島が薄紫に浮び出てゐる。實にや此の勝連に城を構へて、中山を睨らんで居た梟傑|阿摩和利《あまわり》
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