發して島袋、豐川、小竹三君と共に、國頭への旅に出かけた。往路は中街道を普天間から荻堂貝塚を訪ね、中城々址を見、伊波貝塚を經て名護に出る豫定であつたが、伊東博士の『木片集』には、先生が凄しい暴風雨に出會つて、中城の城の麓まで行きながら、遂に城址には登られずして引返された恐ろしい經驗が記されてゐる。併し幸ひ今日の日本晴では其の心配もなく、我々は惠まれた天候を感謝する外はなかつた。
那覇の町はづれ、暫くは失業救濟の道路工事で車の通行も妨げられ勝であつたが、やがて大きな松の並樹――それは尚敬王の時代に蔡温が植ゑた賢明な施設である――のある街道所謂宜野灣の松原に出で、さながら東海道の舊道を走る思ひがする。三里ばかりで普天間《ふてま》に着き、有名な權現祠のある鐘乳洞を見る。如何にも石器時代の住居の址がありさうな洞穴である。喜舍場の小學校の下で校長さんに出迎へられ、一緒に荻堂に向つたが、道は細く山道となり、如何にも危かしく、やう/\荻堂の村に上り著くと、貝塚の持主の人が出られて、村の北手にある貝塚に案内して呉れられた。行つて見ると、これが貝塚かと驚かれる程小さい猫の額の樣な斜面の畠地で、直ぐ崖に接
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