下つて、蠅が飛び廻つてゐる鮭が置いてある位であつたことを私も覺えてゐる。京都の若狹鰈と鱧と言ふ所だ。それで今でも始終魚屋に章魚を注文するので、近來齒の惡くなつた私は閉口する。また近頃は京都あたりでは魚屋は鮪の切身を置いて行き、魚を料理して行くから、女子供等は魚の全形も知らず、其の名も一向覺えない。私の如く子供の時暫く海岸に居つて、自分で魚を釣つて來て自分で料理をしたものと比較すれば、魚に關する知識は非常な違ひである。それでは今に各家庭の食堂には、西洋によくある樣に野鳥や魚の畫を額にして出して置く必要が起つて來るであらう。
[#地から3字上げ](洛味三ノ四 昭和一二、六)
底本:「青陵随筆」座右寶刊行會
1947(昭和22)年11月20日発行
初出:「洛味」
1937(昭和12)年6月
入力:鈴木厚司
校正:門田裕志
2004年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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