の料理屋へ走つたことであつた。
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 とにかく魚の新鮮で美味なること日本に若くはない。勿論巴里のプルニエー、倫敦のスコツトなどに行けば、よい魚も食べられようが、安下宿住居の留學生などには其の勇氣はない。何時も店頭に飾つてある赤い大きな爪の蟹や蝦の姿を見て、タメ息をついたことである。そこで十年前二度目に倫敦に行つた時、ピカデリーを歩いて例の蟹の爪を見て、急に留學生の某々君を誘つて、十年前の鬱憤を晴した處、そのうち某君は切りに初對面に關らず此の御馳走に預ると恐縮せられるので、「さう思はれるならば、此の次西洋に來られる時、留學生の方々にオゴつて返禮をして下さい」と言つた樣な次第で、西洋では貧乏人は肉を食ひ、金持ちが魚を食ふ所は日本とは大分違つてゐる。但し日本も近頃は追々と西洋風になつて行く傾向はあるが、當分鰯でも食つて居れば、まだ/\魚に食ひはぐれることはあるまい。
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 私の家のものは東北の山國生れであるから、子供の時は魚と言へば鯉や鮒の外には、章魚と鹽鮭ぐらゐを見ただけである。其頃は交通が不便なので、魚屋《いさばや》に行くと大きな章魚がブラ
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