て口をきいた母は、きっぱり斯う云いました。母は神霊教という日本の神道の一派の信者なのです。どんな禍いがあっても神様がおたすけ下さって最少限度で事が済んだと、早速お礼まいりです。狂信的なほどの信仰でした。父も私の家も神霊教ではありません。母一人です。毎月、一日十五日はお祭りがあり、仏壇の隣りの祭壇に榊がのせられ、神主さんがやって来ます。この頃は母以外、誰もその祭りに加わりませんが幼い頃は義務のように私達はすわらされました。長い神勅の間、私達兄妹は、畳の目数をかぞえたり、むき出している足をつねり合ったりしてよくしかられたものでした。母の信仰に対して私は何とも思っておりませんでした。が時々、御献費を倹約すれば靴が買えるなどと思うことがありました。
 縁側から座敷へ品物を運んで来て片隅に並べました。そうして私は道具屋の東さんを呼びに行きました。
 神社の横手の露地をはいるとすぐそこに東さんの店があります。ガラガラ戸をあけて中へはいるといいお香のにおいがします。
「いらっしゃい、お嬢さん」
「おひさしぶり、この頃いかが?」
「さっぱり売れまへんな」
 長火鉢に煙草をぽんといわせて、主人は首をふりました。店をみまわしますと、いろいろな形のものがごちゃごちゃにおいてあります。朝鮮の竹の棚がいいつやをみせて、その上の宋胡六の鉢をひきたたせております。
「ここへすわっていると、いつまでたってもあきないわね」
「へっへ、まあどうぞおかけ、お茶をいれますから」
 主人は相槌をうちながらおいしい煎茶をいれてくれました。
「あのね、父が少し残っているものを買っていただきたいって申しますの、来ていただけません? 大したものでもないんですけれど」
「ああさようですか、お宅のものならなんでも買わせてもらいまっせ。今日の午後からでもうかがいましょう」
「有難う」
 この主人は頭がひかっていて仲々の恰幅で、あごがふくらんでおり滑らかで福相をしています。私は主人の福相に、ふと八卦をみてもらわなきゃと思って立ち上りました。時計をみると十時半、これから、時計や貴金属をあつかっている心やすい堀川さんの店へ行って、よくあたるという三宮の八卦へ行って、家へかえったら丁度、東さんが来る頃だろう。と道をあるくのもせわしく、にぎやかな表通りの堀川さんのところへ行きました。主人が不在で技術師が時計をなおしておりました。
「銀を買ってほしいのですけど」
「買いますよ」
「今、幾らしますの」
「さあ物によって、品は何ですか」
「盃など」
「十八円から二十一、二円のところでしょうな。一匁が」
「そんなにやすいの」
「今さがってますからね、でも毎日ちがいますから、とにかく御損はさせませんよ。品物をみた上で、主人とも相談せにゃなりませんから」
「そうね、とにかく品物を明日持って来ますから、確かな物にちがいないけど」
「お嬢さん、他でもきいてみて下さい。他の云った値が家より高けりゃ、その価にしますし……。主人に内緒ですけど、造幣局へ持って行ってでしたら一番高く売れますよ、我々も結局造幣局へ持って行くんですから、その代り、一週間はかかるでしょうし、大阪へ行く電車賃やなんやかやいれたらわずかのちがいですけどね」
 親切にそう云ってくれます。私は堀川さんの店を出て、二三軒、通りがかりの貴金属屋に銀の値をきいてみました。十五円だと云ったり、二十四円だと云ったり、かなりまちまちでした。銀のことは明日、品物をみせてからにして、よくあたる八卦見だという、そのゴチャゴチャした支那うどんを食べさせたり安物のスタンドバーのあったりする裏通りの角っこに私はやって来ました。他に御客はなく、白髪のおじいさんは何か和とじの本をよんでおります。
「みてほしいんですけど、一体幾ら?」
「百円」
 ぶつっとそう云って、彼は私の顔をみました。その顔は小学校の時の先生によく似ておりました。
「年は、生まれた月日は?」
 私は自分の生年月日を告げます。竹の細い棒を何度もわけたり一しょにしたりして呪文を唱えているのをみながら、始めは冷やかし半分の気持でしたが、だんだん真剣になって来ました。何を予言されるのだろう。五分間位、呪文がつづき、その揚句、又木のドミノのようなもので、裏がえしたりおきかえたりしております。そのドミノの赤い線がみえたりかくれたりして、私の心を冷々させます。
「あんたは……」
「はい」
「結婚してますか」
 私は八卦見のくせにわからないのはいささか滑稽だと思い、笑いながら、首を横にふりました。
「そうでしょう。成程ね」
 しきりに感心したような顔をして、ドミノを眺めております。
「今月中にね、動という字が出てますからね。何かあんた自身、或いはお家に変動があります。それは、幸とも不幸とも云われません。とにかく、その後のあんたの担ってゆくものはますます大きい。あんたは担うことばっかりかんがえて、自分の力がどれ程かに注意しておらない。だから荷物に押しつぶされてしまう恐れがあるのだ。とにかく今月中に起る一つの事件によってですね、あんたは、今迄の方針が自ずと変られると思います」
「どんな変動かわかりませんの」
「それは予言出来ますまい。とにかく、注意をしとりなさい。結婚はまあ、今のところいそがなくていいでしょう。あんたのような人はひとりでいた方がいいようなものです。金銭には不自由せん。一生は短い。十年も生きればいい方でしょう。これは又変るかも知れないです。人間必ずしも長寿が幸福だとは云えん。だが、惜しむらくは、あんたが女だということ。男なら英雄になっとる。銅像がたつ。女であるが故に、そういう宿命的なものがかえってわざわいの種ともなります。とにかく、動がありますから、それに注意して下さい」
 私は百円置くとにげるように其処を出ました。彼の云った言葉を順序立てて思い出してみました。矛盾しているようで結局、何が何やらわかりません。急におかしさがこみ上げて来ます。銅像といえば、私の祖先も曽祖父も銅像がたてられました。けれども赤襷をかけて戦争中出征致しました。御影石の台だけが、お寺のある山にのこっております。雨のふる中を誦経しながら銅像をひきおろしたことを思い出しておかしくなったのです。
 家へ戻って食事をしていると東さんがやって来ました。店に坐っている時は着流しで、真綿のちゃんちゃんこをきていましたが、玄関でみた彼は、うすっぺらの背広をきていてネクタイがゆがんでおります。おしゃれをして来たのかもしれませんが、東さんは断然、あの着流しがいいのに。
「どうぞ、父もお会いするでしょうから」
 私は父の部屋に東さんを招じ入れ、いそいで食事を済ませると、お茶を持ってふたたび彼等のところへ行きました。品物をならべます。父と東さんはそれ等をみております。父は心細そうで、
「惜しいな」
 と時々申します。東さんは、一つ一つをゆっくり観察しました。
「全部で二万三千円」
 東さんはそう云いました。私も父も少なくとも三万円にはなると思っていたのです。私は、病のため剃ることも出来ないで白くのびた父のひげのあたりをみておりました。父も私の顔をみます。
「だって東さん、これ価値ものよ、茶碗だって、あんたんとこのあれよりずっといいことよ」
 私はお腹の中で一つ一つを勘定しながらそう云いました。
「でもね。こんなものはすぐうれないのでね。……これが四千円、これがまあ八千円、セーブルはさっぱりなんでっせ。印象の色紙、三千円ね。後は全部で八千円。随分ふんぱつでっせ」
 私は、床に今掛けた、山水の絵をみます。箱の上においた茶碗をみます。父は黙っております。
「東さん、この壺はあんまりやすい。せめて、この小さいもの全部で一万二三千はほしいわよ」
 あれこれ、東さんと云い合っているうちに私も、もうどうだっていいという気持になりました。いくらに売れても同じです。一週間食べのびるか否かなのですから。結局、二万五千円で話がつきました。父も、それでいいと云うのです。東さんは話終ると一服煙管にきざみをいれて、ぷうっと美味しそうに吸いました。きざみ入れのさらさのえんじがいい色です。
「東さんのところへ行くと、ほしいものだらけ。父様、朝鮮箪笥もあったわよ」
「そうかい。焼いてしまったけど、あのうちにあったのもいい色だったね。さみしいことだよ」
「まあまあ旦那さん。元気出しなされ」
 東の主人はそう云って明日品物をとりに来ると出て行きました。
 叔母がはいって来て、宝くじが全部駄目だったと告げました。
「雪ちゃんに、ホテル約束したのにね、ワンコースを。駄目だった。来月はあたってみせるわ」
 つぎだらけのスカートをはいた叔母は、大きな声で笑いながらそう云いました。
「おばさま、毎月毎月買う分、計算したらずいぶんのマイナスでしょう」
「そうなのよ。でもやめられないわ」
 二人は又笑いました。
「まだまだ、貧乏と云っても私達はぜいたくかも知れないわ。おばさん、今夜は牛肉よ。宝くじにあたらなかった残念会にしようか」
 叔母は、せかせかと茶室の方へゆきました。渡り廊下の戸がパタンといって冷い風がはいって来ました。
「もう、湯たんぽがいるわよ」
 私はガラクタ入れの中から湯たんぽを出して来ました。ほこりをはらって水をいれるとそれはジャージャーもって使えないようになっておりました。
 その晩、私は自分の部屋にいて、雑誌をよんでおりました。母と叔母とは、隣の部屋で編物をしておりました。二人の会話がきこえて来ます。
「お義姉様。春彦の本代が随分いりますのよ。科学の材料費なんかも。ノートや鉛筆やそんなものも馬鹿になりませんわね」
「本当ね。でも勉強のものだけは十分にしてあげたいわね。雪子にも、たんす一本、買ってやれなくて……」
 私は苦笑しました。そして襖越しに声をかけました。
「母様、お金はふって来ませんよ。すわってて待ってたって駄目よ。何かやらなければ……、売喰いはもう底がみえているし」
「商売でもやるの、出来ませんよ。商売人でない我々がやったら結局損をしてしまうんですよ」
「だって、じゃあ一体、これからどうするつもりなの、何もやらないとしたら、いつまで続くとお思いになるの」
「税金のこともあるんだし、まあ、神様におまかせしてあるんですから。昔、あまりぜいたくした罰だと思わなきゃ。もう少し、辛抱していたら又、神様がお援け下さいます」
 私は云っても無駄だと思いました。父と母とには見栄があるのです。なまじっか商いでもやろうものなら、すぐにこの街中噂がたちます。それは恥だというのです。私が勤めに出たいと云ってもゆるされません。何分世間体があるからというのです。だから、私は今迄、内緒にいろんなことをしてお金を得ました。飴屋もしました。石けん屋もしました。佃煮屋もしました。知合から知合の紹介をもらったり、見知らぬ人の裏口にも声をかけました。いくらかずつの口銭で、煙草やコーヒをのみました。雑誌や骨董品を買いました。自分のことだけで生きてゆけばいいのですから、家のことなんか考えなくともと思います。その夜は、久しぶりに信二郎とダイスをして遊びました。

 あくるあさ。
 私は、東さんの所から来た使いの人に品物を渡し、現金を受け取って父のまくら許に置き、銀器をうるために出かけました。二十三円五十銭で全部を堀川さんに買いとってもらいました。三万六千円とわずかでした。菊の御紋章入りのさかずきは何故か特別、光りがよいようでした。銀の肌に私の顔がうつります。はっと息をふきかけるとその顔はきえます。他愛のない仕草をくりかえしていると、堀川の主人がそれをみて笑いました。桐の箱の紫の紐が、かるくひっぱったのにぷつりときれました。きれっぱしの紐を、お金と一しょに私は大事に風呂敷にしまいこんでかえりました。家へ着くと、叔母が飛んで出て来ました。
「父様がおわるいのよ、でね、大阪の野中先生を呼んで来てほしいんですって」
 父の居間へはいると一種の臭いが致しました。喘息がひどくなると、この嫌な臭いがするのです。母は背中をさす
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