ばなりません。家産の傾きを元へ戻さねばなりません。いやそれよりも信二郎だけでも安定した平和な生活をおくってほしいと思うのです。私はあの子の力にならなければ。母様は教育もなく、もう毎日のたべることだけで他のことは考える隙もないのです。父様も廃人。私は足をはやめました。門をはいると別棟の茶室の庭で、父の妹の未亡人が火をおこしておりました。もう何十年か前に主人をなくして、今は中学へ通っている一人の息子の春彦と二人、編物の内職とわずかな株の配当でくらしております。
「唯今、おばさま」
「おかえんなさい。そうそう郵便が来てましたよ、二三通だったかしら」
 狭い船板で出来た縁側には、おいもがならべてあり、その横で野菜をきりかけたまま庖丁が放り出してあります。昔、その茶室で四季にかならず御茶会をしておりました。湯のたぎる音、振袖のお嬢さんや、しぶい結城などきた奥様の静かな足さばき。ぽんとならすおふくさ。今は、青くしっとりしていたたたみも、きいろくところどころやぶれておりました。
「雪ちゃん、おばさん今日から一日を五十円以下で済まそうと思ってるのよ。朝は番茶とパン、おひるは漬物と佃煮、夜は一日おきに蒲ぼことちくわ」
 叔母はそう云ってからから笑いました。この叔母のお嫁入の頃は家の全盛時代でしたから、そのお嫁入のお仕度は、叔母の美貌と共に随分世間に評判になったのでした。あの頃の追憶ばなしを父や叔母は度々いたします。何しろ私達が生まれる頃はやや降り坂だったらしく、その豪華版を私はしりませんでしたけれど、父の生まれた所など通りすがりに眺める度に茫然とするのでした。その屋敷は戦前人手に渡り水害のため全壊し、又空襲でわずかにのこった門番小屋や大門も焼けてしまっておりました。園遊会の写真などを土蔵の隅にみつけ出したりする時に、こんな生活を羨しがったり、或いは祖先がそういう生活をしたと得意がる以上に、明日知れぬ運命をおそろしくさえ思うことが度々ありました。いくらかかたむきかけた私達の幼少の頃と云っても、今思い出しておかしくもさえある生活でした。すぐ近くへ行くにも自動車に乗りショフワーの横の席を子供達は取りあいでした。幾人ものお客様をもてなしたりしたことを思い出します。お二階の御座敷には、大きなぶあついおざぶとんが並べられます。女中達が、白いエプロンをぬいで黒ぬりのお膳をはこびます。お茶碗などは、そんな時特別にしまいこんである桐の箱より出します。床の間には、三幅のかけ軸がかけられ、大きな七宝焼の壺にその季節々々の一番見事な花が活けられます。私もお振袖をきてお客様に御挨拶を致します。けれど、じっと坐ることが出来ないのですぐに奥へひきさがって兄や信二郎とおしょうばんの御馳走をたべます。その頃はそれがとりたててたのしいことではなく当然のように思っておりました。
 その夜、遠い親類にあたる松川の祖母さんの葬儀よりかえった母が、食事の後でこんな話をしました。
「松川さんのところのおばあ様ね、まあ、御葬式の費用に仏様の金歯をはずしなさったそうな、いくらなんでもねえ、ひどい世の中になりましたよ」
「どうしていけないんだい?」
 信二郎が傍から口を出します。私は父の顔をちらとみました。
「どうしてって、あきれた子だよ、死んだお人の身についているものなんですよ」
 と母は申します。
「いいじゃないか、おん坊に盗まれるよりかしこいさ、姉様どう思う?」
「私もいいと思う。とがめることはないわ、信二郎さんみたいに、唯物論者じゃないから死者の霊をまつりたい気持はあるわ、でも、金歯を抜くことが死者の霊に対して無礼だとは思わないわよ。それで御葬式してあげられたらいいじゃないの」
 父はにがい顔をして黙っております。叔母がとんきょうな声を出しました。
「だって、誰が抜くのよ」
「誰か、歯医者さんにでも」と私。父がその時はじめて口をひらきました。
「いやな話、もうよしたまえ、お前達は父さんが死んだら、たくさん金歯があるから、それでうんと食べるんだね」
 私は笑いながら云いました。
「雪子が死んだってあてはずれよ。金歯なんて一本もないわよ。人間の価値少しさがったわね。でも生きているうちはない方がよさそうね」
 話はそこでぷっつり絶えてしまいました。
 食後、私は信二郎の部屋へ行きました。勉強しているのかと思ったらごろんと横になって煙草をふかしております。
「勉強なさいよ。何してるの、時間が無駄よ」
「考えてるんだ、無駄じゃない」
「何を御思索ですか、紫の煙の中に何がみえるのでしょう」
 私は茶化すように申しました。
「ほっといてくれよ、うるさいね」
 信二郎はおこったような顔をし、私の方へ背中をむけました。私はその傍へすわってしばらくの間、じゅうたんの破れ目から糸をひっぱったりしておりましたが、
「あなたきょう、学校へ行かなかったのね、大学だからいいのかも知れないけれど」
 とやさしく問いました。信二郎はだまっております。
「街であなたをみかけたの、一人じゃなかったわ、お友達とでもなかったわ」
 何か云おうとするのをさえぎって私は更に、
「何もききたくないし、云いたくもない、でもそのことから……、やっぱりバンドはよしましょう。姉様、何とかして本代位、こしらえてあげます。姉様はあなたにしかる資格はないかもしれない、けれどあなたの将来を案じてるの、偉そうなこと云ってって、あなたはおこるでしょうけど……」
 と云いました。
「何も姉様に対しておこらない。だけど、僕は僕勝手に生きるんだ。バンドのことはよすもよさないも駄目になっちゃったんだ」
「今日の、どこかの奥様なんでしょう。どんなお交際なの」
「どんなでもいい、どんなでもいい。姉様あっちへ行って。僕を一人にしておいて下さい」
 私は立ち上りました。そして自分の部屋へはいると急に信二郎がかわいそうになって来ました。どんな風に生きるのか、私はやっぱり黙っているのがいいのでしょうか。信二郎は信二郎。私は私。私は私しか導くことも出来ないし、制御することも出来ないのです。寐る前に信二郎の部屋の前にもう一度何気なく来た私は、そこにすすり泣く声をききました。

 またある日――
 私と信二郎と叔母と春彦とカードをしておりました。父は相変らず、ぜいぜい云って隣の室で喘いでおります。
「ハート一つ」
 くばられたカードのうち六枚もハートがあります。そうしてオーナが四つもあるのです。
「クラブ二つ」
「ハート二つ」
「クラブ三つ」
「ハート三つ」
 サイドカードもこんなにいい。それにクラブがないから最初っからきれるわけです。私は得意になってあげました。ハートに決まります。叔母と組になっていて、開いた叔母の持礼も割合にいいのです。四つとって一勝負つけてしまいました。
「ビヤンジュエ、マドモアゼル」
 叔母が私の手を握って喜びました。二十年もの昔、巴里で仏蘭西人とブリッジをしたことがあると叔母はよく云いました。そして彼等の勝負好きの話や怒りっぽいことなどもききました。私達は弟のために勝負事をやめようと決心した翌日から又、やりだしておりました。隣から父がそのさわぎに遂々怒り出しました。
「はやくねろ、十一時すぎだぞ」
 私達はこそこそと渡り廊下を渡って叔母達の室である茶室に退去しました。そこで一時頃までブリッジをつづけました。
「又明日、おやすみなさい」
 私と信二郎は夜風のふき通しの渡り廊下を走るようにして戻って来ました。母はうすぐらいところで東京の叔母のところへ手紙をかいておりました。肩越しにのぞくと、私の結婚の依頼がながながとかかれてありました。私は苦笑しながら自分の部屋にはいり、ふと結婚についてかんがえだしました。二十五だという年齢がまっさきに頭に浮びます。婚期とは幾つにはじまって幾つに終るのか、ともかく私はもう若くもないと思っておりました。今迄、何をしていたのでしょう。同級の人達は随分お嫁に行ってます。子供までいる人も少なくありません。未だ一人でいる人は一人なりに学校の先生をするなり、会社で秘書をするなり、それぞれはっきりとした生き方をしております。私だけがあぶはちとらずな、どうにも動きようのない恰好でいるじゃありませんか。私は「女性失格」だろうと自分でそう思います。今迄、縁談は数える程しかありませんでした。みんなことわられてしまっておりました。一番最初の縁談の時、私はまだ廿歳前で元気一杯でおりました。相手の方は外交官の令息で立派な青年紳士でした。どこも欠点のないような方でしたけれど、それが如何にも社交なれた赤裸々でない感じがし私は好きになれませんでした。派手な社交は私の性に合いません。お部屋の熊の毛皮の上にたって大勢の御知合に紹介された時、どぎまぎして夢中でハンカチをにぎりしめておりました。そんな私ですから、当然のようにおことわりがまいりました。父母は大変落胆しましたが私はほっとしたのでした。とにかく、強がりな我むしゃらな私ですけれど反面、意気地のない、気弱なところもあります。それが今日までどっちつかずのままいさせたのかも知れません。今更、結婚ということを重大視も致しませんし、どんな人でもいいと思っているのです。いずれはこの家を出てゆかねばなりません。私は生家への愛情など微塵も持っておりませんし、一生独身で通そうとも思っておりません。水の流れにぽんと体をおいて、何処まででも行って頂戴、行きつくところで私は落着きます、と云った気持でこの頃はおりますものの、肝心の縁談もなく、ますます若さがすりへってゆくようなさみしさと、それに対するあせりを感じないでもありません。
「母様、貴族や華族の部類はやめておいた方がいいわよ」
 他所事のようにそう云って私はひとりでクックッ笑ってしまいました。
「それよりお金のある方がいいんでしょう」
 母は軽くそう云いました。
 寐床にはいってから明日の予定をたてました。お天気がよかったら京都へあそびに行こうと決心しました。紅葉が丁度よい頃です。ぶらぶら人の行かないような道を選んで歩くのが私は好きでした。二三日前に、ピアノの売買を世話してわずかな謝礼金がはいりましたから、それで一日のんびりして来ようと、ほくほくしながら眠りについたのでした。

 ところが翌日の朝。
 父が今日は少し加減がいいから、私にしらべ物をしてくれと、そのリストをこしらえはじめました。売る物のリストです。出足をくらって少し不機嫌な私は父の机のそばにむっつり坐りました。十五六ばかりの品物が記されました。硯石や香合。白磁の壺、掛軸や色紙。セーブルのコーヒセット、るり色の派手なもので私の嫁入道具にすると云って一組だけ今まで売らずにいたのでした。それから銀器が五六点。
「雪子、これ土蔵から出しておいてくれ。それから東さんを呼んで来てね。だいたい値をかいておいたけれど、よくもう一度相談してみてくれ。銀は東さんでない方がいいだろう。貴金属屋の方が……」
「では今日中に」
 私は渋々立ち上り、袋戸棚から重い鉄の鍵を出して土蔵を開けました。ぎいっと大きな戸をあけると、かびくさいつめたい臭いがします。もう大方がらんどうになっていて、うすぐらい電燈の上にほこりが一ぱい積っておりました。品物を父の寐ている部屋の縁側へ並べて傷がないかしらべたりしました。母や叔母は、それ等の品を悲壮な面持で眺めております。
「仕方ないわね。編物の内職でなんとか春彦と二人食べて来てるけれど、だんだん注文もなくなって来たし、株だってさがる一方だし、売る物もないわ。ひすいやダイヤもすっからかん。今はめている指輪、これは十銭で夜店で買ったのよ。魔除けの指輪、もう三十年になるわ」
「おばさまはお偉いわ、どん底でも案外平気でいらっしゃる」
「なるようにしかならないものね」
「私はならせたい。やりたいのよ」
「八卦でもみてもらったらいい考えが浮ぶかもしれないわね」
「いい考えだわ、そう、雪子みてもらお。母様もみてもらおうじゃありませんか」
「いや、私はいやですよ、神様におまかせしているのです」
 その時初め
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