ぼことちくわ」
叔母はそう云ってからから笑いました。この叔母のお嫁入の頃は家の全盛時代でしたから、そのお嫁入のお仕度は、叔母の美貌と共に随分世間に評判になったのでした。あの頃の追憶ばなしを父や叔母は度々いたします。何しろ私達が生まれる頃はやや降り坂だったらしく、その豪華版を私はしりませんでしたけれど、父の生まれた所など通りすがりに眺める度に茫然とするのでした。その屋敷は戦前人手に渡り水害のため全壊し、又空襲でわずかにのこった門番小屋や大門も焼けてしまっておりました。園遊会の写真などを土蔵の隅にみつけ出したりする時に、こんな生活を羨しがったり、或いは祖先がそういう生活をしたと得意がる以上に、明日知れぬ運命をおそろしくさえ思うことが度々ありました。いくらかかたむきかけた私達の幼少の頃と云っても、今思い出しておかしくもさえある生活でした。すぐ近くへ行くにも自動車に乗りショフワーの横の席を子供達は取りあいでした。幾人ものお客様をもてなしたりしたことを思い出します。お二階の御座敷には、大きなぶあついおざぶとんが並べられます。女中達が、白いエプロンをぬいで黒ぬりのお膳をはこびます。お茶碗などは、
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