けれども親子ほども年のちがう作衛とおはるのことであるので私は気はつくものの、作衛もアメリカ式に女に親切しなけりゃいけないと思っているのだろうと苦笑しながら放っておいていた。
 がある寒い晩、私が図案かきに夢中になって十一時をすぎた頃、手洗いに行った帰りにふと台所横をみるとそこには作衛の寐床がとってあったが作衛はいない。私は何か嫌な感じを胸に抱いた。すぐに奥の居間へ帰ろうとすると、小さい声の二人の話声がきこえる。おはるの部屋であるが電気はついていない。
「もうすこし右、そう、もうちっと強く、ああいい気持」
 おはるの声である。
「ここか、きつういたむのか」
 作衛の声である。私はあし音をしのばせて居間へ戻り、風呂敷をかけ低くした電燈の下でほほ杖をついたまま暫くぼんやりしていたが、おはるもおはるだ、じいさんに按摩をさせるなんて、じいさんもじいさんだ、と腹立しくなって来た。私がおはるを呼ぶ毎に、作衛は妻を思い出すより現実のおはるをだんだんその胸の内に意識するようになったのであろうか。そういえば、作衛の動作に、今までみられなかった若さが動きはじめて来たようにも思えた。おんなじ名前、そして脚がや
前へ 次へ
全21ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久坂 葉子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング