報という新聞が出来、最初の連載小説をたのまれた。一回千円の契約で、年内中に二十回分を渡した。一月四日から、奥村隼人氏のさしえで、「坂道」は発表されて行った。ごたごたした感情と、ごたごたした生活を送っていたため、実に荒いまずい小説だと自分で感じながら、とにかく書いたものが、たかが地方のヤボな新聞であれ、発表されてゆくことが、何らかの気やすめになったのである。ところが、この新聞は、四十五回の私の小説が終った途端、廃刊になり、稿料は二万円もらわずじまいになってしまった。もっとどんどんさいそくしたらよかったのに、恋愛の破局と共に、私は、九州の果てへ旅立ったのであった。二月のはじめ頃であった。前年の秋、東京や箱根へ遊び、一月には、白浜や龍神を訪ねたのだが、その時の晴やかな気分とは全く違って、重くるしさと苦しさで一ぱいになって、西へむかったのである。私は、仕事も恋愛もほうり出して、田舎の小学校の先生にでもなろうとした。しかし、広島で女学校の先生に説教され、九州をあちこち放浪するうちに、都会へ舞い戻りたい衝動にかられ、見事に、又、ふらりと帰ったのである。そしていよいよどうにもならず、薬をのんで自殺を
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