になったのである。私は、灰色をかいて発表して、自分には、技巧の訓練がまるでないのだということを知り、何だか自分に、おそろしくむかっ腹をたてて、VIKINGを脱退してしまった。その前に、島尾、庄野、前田諸氏はやめている。然し私の脱退した理由は、私自身の感情の波で、V誌に肌があわなかったのではない。雨が降っていた。私は富士氏と握手をして、市民教室を出てバスに乗った。ひどくバスの中で泣いた。孤独になって、もう一度やりなおそうと、悲痛な決心をしたものの、途端に、V会脱退を後悔したものだ。それから暫く、私の空白時代である。私は、クラブ化粧品の広告部に、月六千円で嘱託にやとわれた。そしてすぐ、NJBへ月七千円で嘱託にやとわれた。私は、ガタガタした生活をはじめた。前者の仕事は、嘘をいかにうまくほんとらしく思われるかということで、化粧品を片っぱしから讃美し、その化粧をほどこしたら、あなたは、クレオパトラのようになれるんだ、ということを、簡単な文句でかくのだ。だが私は、半年つとめていて、一つも仕事をしなかった。一週間に二度か三度、デスクの前にすわり、外国の雑誌をぺらぺらめくり、一時間したら帰っていた。それでも月給をくれたのだから有難い話だ。さて、後者の仕事は、はじめ、保険の外交員のようなことをしていた。放送をおたのみしますと、デザイナーや美容師にたのむのだ。彼女等はとびきり上等の服をきこんでいたが、とびきり下等な人間共であった。田中千代女史だけは別格である。大した傑物だと、私は頭をさげたが。一向に面白くなく、唯、ばたばたするだけのことであったから、一カ月もするうちに私は飽きてしまった。で、仕事をかえてもらったのが、これ又、大へんなあきれた話。有名な小説の朗読用脚色である。女の一生を女の半生にしてしまい、ルージンをきき物に化けさせる。最も最初にもらった仕事は、源氏物語を十五分で語らせるという、冒険ものであった。女性教養文庫の朗読は、放送以来半年位、私の仕事である。明日迄とか明後日迄とか注文され、自宅へ帰って徹夜仕事で、十五分ずつに区ぎり、明日のおたのしみをつくるのである。私の小説は、どうぞ、こんな目に会いませんようにと思ったものだ。その他、子供の童話劇を数本つくった。人のものをアレンジすることを嫌う私は、すべてオリージナルでやった。演出もした。ラジオとは、あきれたものだとアイソがつきた
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