いようになりたいものだと考えた。それは虫のよすぎる話である。私は毎夜、火の中にたっている自分や、針の山をあるいている自分の夢をみた。これは苦悩であり、私の罪への罰則かもしれないとも思った。私は、仏への信仰によって救われたいと思った。
空襲がひどくなり、父母や姉や弟達は、すっかり神戸へ引揚げて来た。何故なら、誰か一人家族が死ぬようなことになるなら、一しょに居り度いと考えたのであろう。一時でも、顔を見合わせている方が安心だと姉は云った。私は毎朝早く起き、水をかぶり、南無阿弥陀仏を唱えた。大乗の道は私には最初からあまりに苦難であったから結局私は称号によって救われることをのぞんだ。くるしみたくはない。これは当然考えられるべきことであった。
電車に乗って工場へゆく、工場は航空機の部分品をつくるところであった。私達はそこで手先の仕事をした。豆粕や高梁のはいった弁当や糸のひいたパンをたべた。空襲警報がなると、十分間走って山の壕まで行った。五月のよく晴れた日、工場地帯を爆撃された。山の壕でもかなりひどいショックを受けた。私は壕から十米もはなれた小さな神社の社務所でラジオをきいて、メガホンで報知して
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