画くことであった。父と共に南画を習いはじめ、仏画や風景をやたらにかきなぐりながら、そこに一つの宗教的な平静さを見出すことが出来た。しかし、数珠だけはなす気にならなかった。東洋的な感覚に魅かれて行った私は、ピアノを弾くことを止してしまった。人の作曲したものを、どんな感情で作ったかもわからずに、自分がそれを弾くことは馬鹿げているような気さえした。母に泣きつかれ、先生に懇願されたが、近所の人達の口がうるさいという理由にして、――鳴物禁止時代になっていた――その代り、お茶とお花とを絵と共に習いはじめた。お茶は性に合わず、同じことをくりかえしで縛られるのに嫌気がさし、お花は、その師匠は進歩的な人で、自分勝手に活けてみることをさせてくれたので、絵と共に長くつづいた。創作することは面白かった。盛物と云って、野菜や果物をもりあわせることは非常にたのしみなことであった。私は、山でひろった木の根や、石ころを並べたりして、毎日のように床の間のふんいきを変えた。
 戦争はいよいよはげしくなった。体の病弱な姉は休学して、三つ県を越した南の小さな島へ療養にゆき、つづいて弟も疎開したが私は居残って女学校へ通っていた
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