れなかった。戦争の目的。戦争のために我々は何をすべきか。そんなことをくりかえして勉強した。必勝という声は幼い私達のはらわたに難なくひびきはいって、偉人といえば東条英機を挙げなければならなかった。私が実際の入試の折に、あなたの敬う人はと尋ねられ、清水次郎長と西行法師とこたえたことは、まことに女として戦時の現代女性として申し訳ないことだったかも知れぬ。
父は専ら悲観説であった。戦争のことを決して容易く考えていなかった。私は学校で教えられる戦争必勝説に感化され、父の考えに歯がゆくも思った。ママパパがいけなくて、お父様、お母様、にしたのもその頃だった。先生にしかられ家中で改めることに決議したのだった。
学校では毎朝、エイヤエイヤと号令かけながら冷水摩擦が行われた。全校の生徒が運動場にずらりと並んで上半身裸になり、手拭で皮膚を赤くした。小さい子供ならともかく、成熟しかかっている上級生徒のむきだしの恰好は如何に戦争中とは云え見よいものではなかったが殆ど強制的であり命令であった。そのために、お乳のつかみ合いをやったりする奇妙な遊びが流行した。
しかし、戦争の影響は、私にとってそれ程大きくも重
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