に大きな空襲があり、私達の住み馴れた生家はすっかり焼けてしまった。私は、自分の家に何の未練もなかった。其処にある思い出は、凡そ罪の重なりであり、不快な臭いの満ちた事件ばかりであったから。
 物干台へ出て、父と二人で市内の焼けてゆくものをみていた。それは全く壮観であった。ざあっという音と共に、殆ど飛ぶように階下へ降りた。もうあたりは火になっていた。足許で炸裂する焼夷弾の不気味な色や音。弟と女中と姉と私は、廊下を行ったり来たりした。母は祭壇の中の、みてはならないものとしてある金色の錦の袋をもっていた。父は悄然とたっていた。
「こわい、こわいよ!」
 泣きさけぶ弟はぴったり私に体をよせてふるえていた。やっとの思いで表の道路へ飛び出ることが出来た。消火することは全く不可能である。兄は工場の夜番で戻っていなかった。乳母は田舎に残っていた。私達は不思議に死に直面しながら死ぬのだとは思えないでいた。そして感傷にひたっている余裕さえなかった。道路には大勢の避難民が、ぞろぞろ歩いていた。私達も何処へという目的もなく歩き出した。何時間かたって空襲がおさまった時、父は会社へ出かけて行った。私達は同じ県下の、電車で四五十分はなれた田舎にいる祖母のところへ、その朝から歩いて昼すぎにやっとたどりついた。母と私はトラックにのって夕刻又神戸へ引かえした。焼土はまだくすぼっていた。父は執事や叔父達と其処で後始末の打合せをしていた。金庫が一つ横だおれになっていた。ピアノの鉄の棒が、ぐんにゃりまがって細い鉄線がぶつぶつ切れになっていたし、電蓄も、電蓄だと解らぬ位に残骸のみにくさを呈していた。本の頁が、風がふく毎に、ばらばらくずれて行った。私は何の感傷もなくそれ等の物体の不完全燃焼を眺めた。その日から、本家の邸に移り住むことになった。郊外の堂々とした石壁の家であり、本家の伯父は、祖母の疎開先へいれ代りに移った。
 そこで私達は、父の妹の未亡人と、その娘、息子と、遠い親類の焼出され家族七人と、混雑した生活を送るようになった。
 朝弁当を持って出ると、級友の罹災調べや、学校との連絡や、もうすっかりやけた工場は自然立消えになっていたので、その時の給料の配布や、日中はそんなことをしていそがしい時を送った。用務以外の時は、友達と話ばかりをしていた。親しい友達といっても、心の底から打ちとけて喋ることの出来ない私は、絶えず自分をポーズさせて本当のことは云わなかった。いり豆の鑵をそばに置いて、寝ころびながらsexの話に戦争も時代も忘却したこともある。これは悲しい話であった。何故なら、男性への接近は絶対に遮断されていたゆがめられた青春であったから、胸の中に燃え立つもののはけ口がなかったのだ。焼けっ原を見降しながら、山崖の草いきれの中で私達はゆめをみた。現実とは凡そかけはなれたものでしかなかった。日がくれると、私は仮屋へ戻った。計量機の上へ丼をのせ、ほとんど豆ばかりの御飯をついで、大勢の家族はいそいで食べた。日曜日は家の焼跡の整理をした。金庫の中の真珠はすっかり変色してしまっていた。ダイヤやプラチナはぜんぶ政府に提供していたから、真珠位が宝飾品として手許にのこっていたのに、それももう使うことも売ることも出来なくなっていた。父の大事にしていた陶器類は、二三無事であったが、それも、水をいれればもってしまう花瓶や茶碗であった。私の絵の印は、二三コ汚れたまま土の中から出て来た。それは喜ばしい発見であった。絵をかくことをはじめた。それから大勢の家族で句会もはじめた。梅雨の時分の毎夜であった。しかし又、二カ月して八月の六日の空襲でその邸も焼けてしまった。
 丁度、兄が入隊した晩であった。制服に日の丸の旗を斜にかけ、深刻な顔付で敬礼して駅頭にたった兄へ、私は肉親への愛情のきずなを感じた。兄弟の中で一番兄と気があっていたから両親以上に慕っていた。その夜は、何もしないですぐに床の中に入っていたのだが、空襲警報がなるまで起き上らないでいた。殆どそのしらせと同時に飛行機や焼夷弾の音を耳にした。私はベッドからころがり落ち、まるい蚊帳に足を奪われながら、寐まきの上にもんぺを着て階下の大勢の人のところへはしって降りた。その間、何分か数えられぬ位のあわただしさであった。そしてすぐに家を出た。立派な日本館と西洋館とが鍵形になった邸ではあったが、愛着などあろう筈はなく弾が落ちない前にもう逃げはじめた。一行十六人の群は、川堤を行ったり来たりして弾の落ちて来るのをさけた。あたりのお邸はどんどん燃え出し、今捨てて来た家も共に見事に炎上し始めた。山の方へ行っても弾はふって来る、南の方から火の手が揚がる。うろうろしながら、森林のある焼け残った家へ避難した。一時間位、ここで死ななければならないのだと覚悟をきめて、庭石にすわっていた
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