中に、私は喜びや生甲斐を発見するのだろうと考えた。誰かを愛して居り度いと思った。そして自分の愛情に応えてほしいとのぞんだ。私は兄の友達や、電車通学で会う若い人に気持を奪われてみたいと念じたけれど、誰もかも魅力はなかった。
学校はだんだん学校らしくなって来た。女性同志の恋愛ごっこのようなものが急に流行しはじめた。リボンを頭につけたり、定期入の中に写真をしのばせたり、制服がそろわないので私服のゆるしがあるままに、色彩がだんだん華やかになって来た。私は女らしさに欠けており、又体裁をかまわないことを一種の誇のように思っていたから、相変らず戦争中の作業衣ともんぺを着て頭髪はもしゃくしゃにしていた。ところがそういった風貌が宝塚の男役のように女性から慕われた。同級生達から毎日のように、ピンクやブルーの封筒を渡され、涙っぽいつづけ字の手紙をよまされた。私は手紙をかく事を好んでいたのですぐ乱暴な字でノートの端くれに返事をかいた。それ等の女性に対して何ら興味はなかったものの、手紙をかくたのしみだけで大勢の人と交際しはじめた。私の学校での生活は目立って注目を浴びるようになった。私は少しずつ活気づいて来て幼い時からの倣慢不敵さがにょきにょきと表面にあらわれ始めた。そして事件をもてあそぶようになって来た。何か毎日自分の身辺に新しいかわったことをこしらえたいと思い、それが自分に不利有利を考えないで唯その事件を面白がった。しかし数珠と私ははなれないでいた。数珠を巻いている事は大した信仰でなくなっていたけれど、私ははなさないでいた。習慣的であり、腕時計のようなものであった。
第六章
学期があらたまり、私は幹事をつづけ、民主主義の産物である自治会等の役もひきうけるようになった。私は何でもぽんぽん云ってのけた。それは愛校心とか、自由主義思想とかいう名目の下ではなく、面白いからであった。しかし私達の要求は殆ど学校当局にはきき入れてもらえず職員会議で一応相談の上という逃げ口上ですべて校長の独断で事ははこばれた。それでも私には大した影響はないと考えていたから、又何かの事件を持ち出してはその話を呈供することを喜んでいた。学校復興のバザーだとか学芸会音楽会がしきりにもよおされるようになった。私は劇に出たり、独唱したりピアノをひいたり自作のうたを舞台の裏でうたったり(――何という心臓の強かったこ
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