ているところへゆく。漁師が海から帰って来て、獲物のせり市があるのだ。私は生臭いその空気を好んでいた。大きな台があって、其処に、がらがらした声のおっさん達が、竹べらにチョークで何やら記して伏せて置いたり、ひらいたりしている。私は、荒っぽいその中に、びくびく動いているおさかなを、別に同情もしないでみていた。真赤な血が垂れる。自分の爪のような鱗がとぶ。私の殊に好きなさかなは、蛸であった。必ず、その丸く吸いつくところへ手をもってゆき、小さな指で、強くひっぱられることに興味を抱いた。たくさんの穴へ一本一本の指をいちいち吸いつかせる。そうしているうちに、邪魔だとしかられる。しかし太いお腹に毛糸であんだぶあつい腹巻をして、黒い長ぐつをはせた漁師達に、私は肉親以上のしたしみを抱いていた。
 毎日、新しいおさかなを、あれがいい、これが好きだと選んで持ってかえる。それが、朝の仕事の一つであった。家へかえると、まめ粥が煮てある。このあたりの風習に従って、小さな豆の実と葉をかげ干しにしたものを、おかゆにまぜて煮くのだということは、後で知ったのであるが、それに、漬物と味噌汁とがきまって出される。小さな茶碗に、風船の絵がついていて、私はそれを大へんかわいがっていた。
 日中、畠でとんぼやかえるをつかまえることもした。指の間に、とんぼの羽をはさんで、両手一ぱいになると空たかく逃がしてやる。そして又くりかえす。勿論、私自身で、とんぼをつかまえることは出来ないから、田舎の少年や、おばさん達にとってもらい、私はわらぞうりをつっかけて、兄達にまじってたんぼ道を歩いた。
 親からはなれて寂しいとは少しも思わなかった。そうした田舎の人達の素朴な感情の中に、私は伸び伸びと育った。
 けれども、教育のためには、田舎の生活はプラスしないという親の意見で、大分、丈夫になった兄と共に、兄弟達は都会へひき戻された。海岸の別荘は、夏間だけ借りることになった。
 両親の許へかえって私は、その日から、厳しい躾を母から与えられた。私は急に臆病になり、怯《い》じけた性格になってしまった。他の兄弟は、割合すぐに都会の空気になじんで御行儀よくなったけれど、私はどうしても田舎の生活がこいしく、人や雑音の多いことが、嫌でたまらないでいた。母は私のイナカモンを恥かしがった。私は幼稚園へゆかされるようになった。大人の先生は母よりも厳しかった
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