る。

     第一章

 男の子、女の子、そして次に生まれた赤ん坊は、澄子と名附けられた。まるまる太った、目鼻立の大きい赤ん坊は、自分の名前が、自分と似つかわしくないと思ったのか、片言葉ながら、自分をボビと呼び、それに従って、大人たちも、ボビチャマとよんだ。右手のおや指をいつも口からはなさないでいる三歳の私が、そのボビであった。
 明治の御代に、一躍立身出世をした薩摩商人の血と、小さな領地を治めていた貧乏貴族の血とが、私の体をこしらえあげた。
 私の父は、その頃、曽祖父の創業した、工業会社の重役をしており、私の母は、上品なきれい好きの江戸っ子であったから、私の襁褓《おむつ》は常に清潔でさらさらしていたらしい。それに、外出好きの母であったから、私に一人、つきっきりの乳母が居り、一日中面倒をみてくれていたのだから、私の涎掛《よだれかけ》も、きれいな縫取のあるのが、たえずかえられていたにちがいない。乳母は太っており真白の肌をしていた。両方の乳房が重たく垂れており、私は、右手の指をしゃぶりながら、その柔かいあたたかい乳房を左手でいじくりまわしていた。夜、眠る時も、父母は私の傍に居らず、乳母の両乳の間に顔を押しつけて眠っていた。

 その頃、生まれつきよわかった兄のために、紀州の海岸に別荘を借りた。兄、姉、私と、すぐ後に生まれた弟と、乳母と女中が海岸の別荘に生活するようになった。真白で広い浜辺の端に、高い石がけの平家があり、私はそこで波の音を四六時中きいていた。ひる間はその波音が退屈しのぎであり、いろんな夢を思い起させたりしたが、夜中にふと目をさますと、それは恐しい魔物の声のように思えた。そんな時、私はしくしくと泣き出して、乳母の乳房に耳を押しつけた。
 こまかい白い砂地は、私を無性によろこばせた。汀をぺたぺた素足で歩く。と、すぐにその足あとは波に消されてしまう。どんなにゆっくり、じわっと足あとをつけても、すぐにそれはあとかたなく波のためにさらわれてしまう。今日こそは、波にさらわれまいとし、その小さな念願をくりかえしながら、次第に汀で遊ぶことが退屈になり、私はお魚や、貝がらをあつめたり、磯の間に、ぶきみな形の小石をひろったりした。それは大切に、廊下に並べられたり、お菓子の空箱にしまいこまれたりした。
 毎朝、五時に、ほら貝が鳴る。私達は女中の手にぶらさがって、ほら貝の鳴っ
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