りにスモックがたくさんしてあったようだった。私は母に、あれと同じものをこしらえてと何度も頼み、やっとこしらえてもらってそれを着たら、アリーのようになれるという想像をすっかりぶちこわし、鏡の前で着たっきり二度と手を通さなかった。アリーは色が白く、うぶ毛が密生していて、目が青かった。私はまゆ毛も、目も、顔色もくろかった。そうして、すんなりした長い脚のアリーに比べて、私はずんぐり太っちょだった。
「ゴキゲンヨウ」
アリーのこの挨拶が又、母を喜ばせた。母は度々およびするようにと私によく云った。私はアリーの皮膚が好きだった。それはあのカザリイン先生と同じ系統でありながら、年寄と子供では日本人以上に大へんな違いがあることを知った。何となく柔い感じで、手をつないでいたり、肩をくんで歩いたりする時、私は胸をときめかした。私は、アリーを一度裸にしてみたいと思った。しかし、私はもう命令する勇気がなかった。
十二月にはいると毎年の例で私はピアノの会に出た。優しい先生は四十人位の御弟子を持っていた。私と姉とが最も古参で、ダイヤベリイとかいう曲を――これは作曲家の名前かもしれない――二人最後に連弾した。それから私は、トオイシンホニイのコンダクターにもなった。ジングルベルを、タンバリンやカスタネットや大鼓やトライアングルで合奏した。白いタフタアの洋服の上に、その時は黒いベルベットのチョッキをつけて棒をふった。私は非常な名誉と自信を感じ、一段高いところで演奏者をヘイゲイ[#「ヘイゲイ」に傍点]した。たくさんの花束が送られた中に、アリーからのがあった。それが、ふじ色一色の温室咲きのスイトピーであった。蘭だとかばらだとか、高価な花とちがうのに、その一色だけが気に入って母も共にうれしがっていた。その日、アリーは長く垂らしたくり色の髪に、大きな白いリボンをつけていた。私達の年頃の人は、みんな、チョンチョンに髪を切っていたが、その日から私も髪をきらずにのばしはじめた。が、これにも失望してしまった。何故なら、私の髪はごわごわしていて、耳がかくれる頃までのばしたものだが、彼女のように、ふわっと波うってはいなかったのだ。そうして涙をのんでふたたびちょんぎってしまった。
彼女は私をかわいがってくれた。言葉の影響か、私より年上に感じられた。彼女は、カトリックの信者であり、首からクルスを吊っていた。私は何故か、
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