、私は大きな尊敬をいだいた。しかしその本は私も今まで読んでいたアンデルセン童話集であったのだ。私は家へかえって、漱石の坊ちゃんだと父に告げた。何故、そんなことにわざわざ嘘をつくのか、その原因はわからないままに、大人が驚く姿を喜んだ。
私の家は、子供四人に、女中が三人、乳母と両親の家族であり、部屋数も随分あったけれど、古びていて何かと不便であったので、大規模に改築することを、水害の翌年行うことになった。新しい木の柱の臭いや、うすいおが屑は、私に、海辺の毎日を思い起させた。大工さんと、船頭さんとの間に、何か似通った一つの魅力があった。毎日学校からかえると工事場へ行って邪魔にならないように仕事をみていた。二階に私と姉の部屋として新しく日本間と洋間が出来、離れの陰気な病室は、やはり二間つづきの兄の部屋になおされたし、応接間はすっかり壁紙が代わり、ベランダがつけられた。母は、私と姉の部屋に、きれいな飾り戸棚のついた箪笥を二つ並べてくれた。洋間の方には、椅子と机と本箱を新調してくれた。そして壁紙の撰択や、カーテンの布地は子供の好みにしてくれた。私は、うすねずみ色の地模様のかべ紙に、ピンクのカーテンをしたいと望んだ。姉はクリーム色に緑のカーテンをかけたいと云い張った。結局、壁はクリームになり、カーテンはピンクになり、デンキスタンドのシェードに、姉はみどり、私はうすねずみ色に花のとんだのを母は与えてくれた。急に何だか一人前になったような気がして、その当座はいくらか勉強に精出したようであった。しかし、算術の出来のわるさは、ずっとつづいて、それが、数学と呼びかえられるようになって、もっとひどくなったのである。
改築の御祝いに、お友達を呼ぶことになった。その頃、東京から転校して来たアイノコが組《クラス》にいたが、私は彼女がとても好きになり――というのは、私の悪事を知らないという安心感があったのであろうか――たった一人彼女を家へ招いた。歯ぎれのよい江戸っ子で、派手なアメリカ風の気のきいた洋服をきており、顔立は西洋人形みたいだったから、母はこの娘が大へん気に入った。
それに、ピアノが弾けて、然も、所望すると、さっさと弾く。無邪気な社交家であった。
「オバチャマ、コノオ洋服、アリーノママガネエエ、ミシンデヌッテクダサッタノオ」
自分のことを、アリー、アリーと呼んでいた。何か、胸のあた
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