た作曲家の仕事の出来上りの日で、緑の島も、作曲家も居るのです。私は、緑の島と視線をあわせ、一言二言しゃべりました。いつものように、緑の島の、私への愛情をその瞳に感じました。だけど私は、私の目はもう何の誰に対する目と一しょだったでしょう。そして廊下に、鉄路のほとりらしき声をきき、その時こそ、私の瞳は輝いたことと思います。会いました。打ちとけるように私は、もう片意地もすてて、ほほえみました。自然にほほえんだのです。緑の島が部屋を出て行ってから、鉄路のほとりははいって来ました。私は、彼に手紙を渡しました。丁度、作曲家の彼が、青白き大佐と面会しなきゃならぬ用があり、私は、青白き大佐との喫茶店へ又電話をかけ、大佐に居るように伝えてほしいと云いました。私と、鉄路のほとりとは口をききません。彼はすぐに私の手紙をよんでました。作曲家の友人と三人で、私達は道をよこぎり、青白き大佐の待つところへ行ったわけです。道で、私はもう何も云わないで下さい、と鉄路のほとりに云いました。彼はうなずきました。それから小一時間もして、閉店でおん出され、少しのみに行ったのです。そして終電車まで居りました。省線の駅で、私と青白き大佐と作曲家は、鉄路のほとりをひきとめ、神戸へ行こうとさそいましたが、遂に彼は、ちがうプラットの方へあがってゆきました。今晩もう一度、この手紙をよくよんでみる。彼は小声で私に云いました。だけど、私は、もう二度と会えない気がしたのです。だから、彼の後を追ってプラットへあがりました。彼は、私に、京都へ来ないかと云いました。優しく彼は云ったのです。私はすぐにゆくと云いました。ところが、ものすごくとめたのが青白き大佐なんです。小母様。私は、鉄路のほとりと握手をしました。涙がこぼれそうでした。別のプラットへあがって、京都行の電車が出てゆくのをじっとみていました。若しや彼は、電車にのらなかったのじゃないか、などとも思いました。彼は帰ったのです。電車の後尾燈は、遠くみえなくなりました。こんなことは、まるで三文小説みたいに、陳腐なこと。でも、私、ほんとにもう会えないんだ。と自分の心で決めてしまっていたものですから、随分たまらなかったのよ。その夜、家へ帰って、寝床にはいった頃、鉄路のほとりから電話をもらいました。行動とは、今晩かというのです。私の母は目をさましてますし、電話は家の中央なのです。私は、いいえと云いました。そう、じゃおやすみ、彼はそう云いました。私もおやすみなさい、と云って、いやまだ何か二言三言しゃべったようですが、受話器をおろしたのです。私はもうすっかり心に決めておりました。二十二日に黒部へゆくことに。何故二十二日になんかしたかと云えば、仕事の残りの始末をしてしまいたかったのです。切符代の集金やら、それに芝居の批評会にも出なきゃならなかったので。
 小母さま。その翌日に、私の心をますますかためたことがあるのです。作曲家の小さな坊やをつれて、公園行きを、前々から約束していたので、作曲家の彼に、大阪からの終電車の中で翌朝、坊やと約束をはたそうと云ったのです。
 小母様、この日のことは、一度、眠ってからあしたかきましょう。何故って、腕がだるくなっちまったの。今日は、朝のうち、随分ピアノ練習したし、それに、煙草が残り少ないの、今晩中に書きあげることは、出来かねるので、――煙草なければ駄目なの――さむくなりました。じゃあ一まず、お休みなさい。小母さま。

 五時間も眠ったかしら。朝、家の中でがたがた大きな音をたてるので目ざめてしまうのです。古い家屋なのでとてもひびくのよ。私は寐床の中で夢を思い出していました。レコードの針を一ぱい打ちつけたもの――そのものが何だったか忘れたけれど、それに布をかぶせておいて、暫くしてから布をとりはずし、唇を寄せて、すうっと空気をすうのです。そうすれば子供が生れる。そんなことを、S新聞社のN女史が一所懸命に私に教えてくれている夢でした。
 おかしな夢だ、など苦笑しながら、うつらうつらしてました。と、電話の鈴。私は、鉄路のほとりだろうと思いました。ところが、それは九時すぎ、会社へ行った兄からだったのです。
 ここまで書いて玄関に呼声。出てゆきました。若しや、鉄路のほとりからの速達ではないかと。ちがいました。彼からは何にも。
 今、正午のサイレンが鳴りました。昨夜っから、十時間ちかく書いているのじゃないかしら。
 さて、いよいよ、公園でのことに戻ります。小母さん。辛抱してよんで下さいとは申しません。つまらなくなれば、とばしよみでも結構、途中でやめちまって下さってもいいの。唯、私があなたあてに書こうと思ったものですから。
 さて、公園へ作曲家のぼうやを連れてゆくのに同行したのが、青白き大佐です。私は、彼に会うことをひどくいやがる気持でも
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