夜一晩寐ていなかった。
「いや、未完遂、昨夜は、友達に会ったのさ、軍隊の時のね」
「それは、御気の毒様」
蓬莱建介は、妻をみた瞬間、浮気をした話を云ってはならないものと心に決めていた。彼はひどくむっつりと、おそい夕飯をたべた。蓬莱和子は非常に朗かであった。夫の言葉を信じたからなのだ。
「賭の期限をきめないこと、一カ月にしましょう」
蓬莱建介は黙っていた。その夜、二階の彼の部屋に、蓬莱和子は姿をみせた。ひどく、やさしく。
九
「私、子供が出来たらしいですわ」
仁科たか子は、夫六郎の枕許にすわっていた。欠勤四日目である。流行性感冒にかかって仁科六郎はひどく高熱を出して苦しんだ。たか子は献身的に看護した。熱も降り坂。だが、まだ起き上ることは出来ない。うつらうつらゆめをみていた彼は、彼女の声にはっとした。彼は、阿難のことしか意識の中になかったのだ。
「それはよかったね。身体を大事にして」
仁科六郎は、しばらくしてぽっつり云った。彼は子供をほしがっていた。けれど、最近は子供のことに関心を持たなくなっていたのだ。
「あなたこそ早く元気になってほしいわ」
流行性感冒にかかった
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