―阿難、ごめんなさい。阿難、ゆるして下さいね。でも、ああなったことは阿難がさせたのよ。阿難の熱愛している仁科六郎の存在がさせたのよ――
 涙を流したのは、南原杉子であろうか。否、阿難が涙を流したのだ。
 ――阿難がかわいそうよ。どうして、蓬莱建介とああなったの。阿難はせめるわ、かなしいわ。阿難は仁科六郎だけで生きているのよ。阿難が宿っている南原杉子の肉体。それは勿論かりそめのものなんだわ。だけど、阿難が一たん宿ったかぎりは、仁科六郎以外の男にふれさせたくないわ――
 阿難は、南原杉子の肉体をゆすぶった。はげしく。南原杉子は阿難に抵抗しようとする。
 ――阿難、もうしばらく私を解放しておいて、阿難の純潔をけがしやしない。私は蓬莱建介を愛してやいない――
 ――ゆるさないわ。ゆるすことは出来ないわ――
 彼女は泣きつづけた。

 蓬莱建介は、わけのわからないものを背負ったなり、蓬莱和子の前に現われた。いつもの如く、うすぎたない空気のよどんだ家庭とも云えない場所。
「昨日はおたのしみだった? どう、思いがかないました? 御とまりのところをみれば、私が背広を買うことになったかな」
 彼女は、昨
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