人は奥様なんでしょう」
「何だかわけがわからなくなったよ。ねえ、それより、君と浮気していいかい?」
「と、奥様におききあそばせ」
 二人は哄笑した。南原杉子は、自分が口から出まかせに、でたらめなことを喋りたてたと、おもしろく思った。
 終電車で、南原杉子は下宿に戻った。彼女は蓬莱建介と自分の会話を思い出した。彼は約束を嫌うといって、彼女に再会の約束を強いたのであった。彼女は三日後、しかもカレワラで会うことを指定した。
 ――南原杉子。一体どうしようというの――
 阿難のおごそかな声である。
 ――阿難、黙っていて。おねがいだから、黙っていて頂戴――

 一方、蓬莱建介が自宅に帰ると、蓬莱和子は美顔術をやっている最中であった。鏡の前にすわって、べたべたするものを顔中に塗りつけ、神妙に皮膚をこわばらせていた。
「おい。お前の愛人とランデヴーしたぞ」
「あらそう、お杉とね、よかったでしょう」
 蓬莱和子は、ゆっくり静かに口をつぼめたなりこたえた。
「彼女と浮気したとしたら、おこるかね」
「どうぞ。だけどあなたが惚れても彼女はあなたなんかに惚れやしないわよ」
 頬の下あたりに、幾条ものひびが出
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