感した。

 駅でわかれる時、ふと何か云いたげな素振りをしたが口つぐみ、さっさとふりむきもせずに立去った仁科六郎の後頭部のあたりに、何かつめたさを発見し非常にひきつけられた南原杉子は、電車に乗ってから、瞬間、それがかえってさみしい思いにかわった。そしてあらためて、今日の出来事を思い浮べてみた。
 昨日の今日である。昨日、カレワラへゆき蓬莱女史に会い、その帰りに快感を得て、今日、仁科六郎に今までとちがった感情で会ったのだ。
「今日は私がおそばをさそうわ」
「ゆきましょう」
 そば屋で二時間話をした。大部分が放送の話である。放送は一つの芸術だと仁科六郎は力説した。彼は又、演出がいかなるものか語った。
「小説家は何枚かいてもいいんだし、絵かきはどんな大きさの絵をかいてもいいんだし、映画も演劇も、時間に制限ないのに、放送は時間に制限があるのね。何秒までも。私ぞっとしちゃうわ」
 彼は、時間の制限内に於いて、最も有効に一秒一砂うずめてゆくことが、むずかしいのだし、大切なんだ、と答えた。仕事の話では、お互に自分自身を披露しない。
「のみませんか」
 今度は仁科六郎が誘う。
「では、五時に、約二時間で私の仕事、かたづけます。カレワラで」
 仁科六郎はふっと戸惑ったが結構ですと答えた。南原杉子が、カレワラを指定したのは、蓬莱和子が居たら誘うという了簡ではなかった。彼女は今日不在なのだ。昨日、店の女の子と二三こと立話しているのをきいたのだ。五時から神戸に用があると云っていたのだ。
 南原杉子はダンスのレッスン場へいそいだ。髪毛をばらして、派手にルージュを塗り、五時五分前まで踊りつづけ、髪毛をまとめてカレワラへ来た。仁科六郎は川を眺めていた。仁科六郎の案内で酒場へ行った。酒場の女は、南原杉子を珍しげにみた。そして、言葉を珍しげにきいた。ビールとウィスキーをのんだ。
「女史は独身ですか」
「(みんな同じことに興味があるのね)私、などに誰も申込んでくれませんわ」
「結婚しようと思わないでしょう」
「ええ、まあそうね。私自信がないの」
「おおありの人じゃないですか」
「ちょっとまってよ。自信って、女房の自信がないわけよ」
「何故」
「男の人を安心させることが出来ないようですわ。主婦の務めは寛容でなきゃね。それなのに私はおそろしく我儘ですもの。結婚したら主婦の私は夫にほっとさせる義務があるのに
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