子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「借金《しゃっきん》のために牢《ろう》にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
わたしは庭にいた二人の子どもを呼《よ》びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり泣《な》きをしてお父さんの両手にだかれていた。巡査《じゅんさ》の一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に置《お》いた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと順々《じゅんじゅん》にキッスして、リーズをねえさんの手に預《あず》けた。
わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへ寄《よ》って来て、ほかの者と同様に優《やさ》しくキッスした。
これで巡査《じゅんさ》はかれを連《つ》れて行った。わたしたちはみんな台所のまん中に泣《な》きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
カトリーヌおばさんは一|時間《じかん》おくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん気丈《きじょう》なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの水先案内《みずさきあんない》が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを失《うしな》って、波のまにまにただようほかはなかった。
ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした婦人《ふじん》であった。もとはパリの街《まち》で乳母奉公《うばぼうこう》をして、十年のあいだに五か所も勤《つと》めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする目標《もくひょう》ができた。教育もなければ、資産《しさん》もないいなか女としてかの女にふりかかった責任《せきにん》は重かった。びんぼうになった一家の総領《そうりょう》はまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
カトリーヌおばさんは、ある公証人《こうしょうにん》のうちに乳母《うば》をしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人を訪《たず》ねて相談《そうだん》をした。そこでこの人が助言して、わたしたちの運命《うんめい》を決めることになった。それからかの女は監獄《かんごく》へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、最後《さいご》にわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行って養《やしな》われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで鉱夫《こうふ》を勤《つと》めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのために働《はたら》きます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなに働《はたら》けるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事が好《す》きです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う以上《いじょう》の意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょに連《つ》れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも親類《しんるい》だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら養《やしな》ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、腹《はら》いっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者では
前へ
次へ
全82ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
マロ エクトール・アンリ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング