たしたちは手に温《あたた》かいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった……かれはだまって泣《な》いていた。ふとそのとき引きさかれるようなさけび声が聞こえた。
「マリウス。ああ、せがれのマリウス」
空気は息苦しく重かった。わたしは息がつまるように感じた。耳のはたにぶつぶついう音がした、わたしはおそろしかった。水も、やみも、死も、おそろしかった。沈黙《ちんもく》がわたしを圧迫《あっぱく》した。
わたしたちの避難所《ひなんじょ》のでこぼこした、ぎざぎざなかべが、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。わたしはもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン夫人《ふじん》にも、それから好《す》きなマチアにも。
みんなはあの小さいリーズにわたしの死んだことを了解《りょうかい》させることができるであろうか。かの女の兄たちや姉《あね》さんからの便《たよ》りをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気のどくなバルブレンのおっかあは……。
「どうもおれの考えでは、だれもおれたちを救《すく》うくふうはしていないらしい」とガスパールおじさんはとうとう沈黙《ちんもく》を破《やぶ》って言った。「ちっとも音が聞こえない」
「おまえさん、仲間《なかま》のことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」は熱《あつ》くなってさけんだ。「いつの鉱山《こうざん》の椿事《ちんじ》でも、仲間《なかま》がおたがいに助け合わないことはなかった。一人の坑夫《こうふ》のことだって、あの二十人百人の仲間《なかま》がけっして見殺《みごろ》しにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」
「それはそうだよ」とガスパールおじさんがつぶやいた。
「思いちがいをしてはいけないよ。みんなもこちらへ近寄《ちかよ》ろうとしていっしょうけんめいやっているのだ。それには二つしかたがある……一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水を干《ほ》すのだ」
人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない議論《ぎろん》を始めた。結局《けっきょく》少《すく》なくともこの墓《はか》の中にこの後八日ははいっていなければならないことに意見が一致《いっち》した。八日。わたしも坑夫《こうふ》が二十四日も穴《あな》の中に閉《と》じこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは真実《しんじつ》であった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳にはいらなかった。わたしはぼんやりした。
また沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。みんなは考えにしずんでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふとさけび声が聞こえた。
「ポンプが動いている」
これはいっしょの声で言われた。いまわたしたちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。わたしたちはみんな立ち上がった。ああ、われわれは救《すく》われよう。
カロリーはわたしの手を取って固《かた》くにぎりしめた。
「きみはいい人だ」とかれは言った。
「いいや、きみこそ」とわたしは答えた。
でもかれはわたしがいい人であることをむちゅうになって主張《しゅちょう》した。かれの様子は酒に酔《よ》っている人のようであった。またまったくそうであった。かれは希望《きぼう》に酔《よ》っていたのだ。
けれどわたしたちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい不安《ふあん》の日をこの先送らなければならなかった。わたしたちはみんなひじょうにのどがかわいていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。かれはわたしたちのせっかく積《つ》み上げた石炭の土手がかれのからだの重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。
「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつを貸《か》しておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」とかれは言った。
カロリーの長ぐつがわたされた。わたしはそっと土手を下りることになった。
「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手を貸《か》してあげよう」
「おお、でもだいじょうぶですよ。先生」とわたしは答えた。「ぼくは水に落ちても泳げますから」
「わたしの言うとおりにおし」とかれは言い張《は》った。「さあ、手をお持ち」
かれはしかしわたしを助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、傾斜《けいしゃ》の上をすべって、まっ逆《さか》さま
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