るものか。さあ行こう」
しかし意地は張《は》っても、からだの力はまったくつきていた。しばらくしてまたかれは立ち止まった。
「すこし休まなければ」とかれは力なく言った。「わたしはもう歩けない」
さくで大きな花園を囲《かこ》った家があった。その門のそばの積《つ》みごえの山にかけてあるたくさんのわらを、風が往来《おうらい》のさくの根かたにふきつけていた。
「わたしはここにすわろう」と親方が言った。
「でもすわれば、今度立ち上がることができなくなるとおっしゃったでしょう」
かれは返事をしなかった。ただわたしに手まねをして、門の前にわらを積《つ》み上げるようにと言った。このわらのしとねの上にかれはすわるというよりばったりたおれた。かれの歯はがたがた鳴って、全身がひどくふるえた。
「もっとわらを持っておいで」とかれは言った。「わらをたくさんにして風を防《ふせ》ごう」
まったく風がひどかった。寒さばかりではなかった。わたしは集められるだけありったけのわらを集めて親方のわきにすわった。
「しっかりわたしにくっついておいで」とかれは言った。「カピをひざに乗せておやり。からだのぬくみでおまえもいくらか温かくなるだろう」
親方ほどの経験《けいけん》を積《つ》んだ人がいまの場合こんなまねをすればこごえて死んでしまうことはわかりきっているのに、その危険《きけん》を平気でおかすということは、もう正気ではなかつた証拠《しょうこ》であった。実際《じっさい》久《ひさ》しいあいだの心労《しんろう》と老年《ろうねん》に、この最後《さいご》の困苦《こんく》が加《くわ》わって、かれはもう自分を支《ささ》える力を失《うしな》っていた。自分でもどれほどひどくなっているか、かれは知っていたろうか。わたしがかれのそばにぴったりはい寄《よ》ったときに、かれは身《み》をかがめてわたしにキッスした。これがかれがわたしにあたえた二度目のキッスであった。そしてああ、それが最後《さいご》のキッスであった。
わたしは親方にすり寄《よ》ったと思うと、もう目がくっついたように思った。わたしは目を開けていようと努《つと》めたができなかった。うでをつねっても、肉にはなんの感じもなかった。わたしがひざを立てたその間にもぐって、カピはもうねむっていた。風はわらのたばを木からかれ葉をはらうようにわたしたちの頭にふきつけた。往来《おうらい》には人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の沈黙《ちんもく》があった。
この沈黙《ちんもく》がわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない恐怖《きょうふ》がのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん暖《あたた》かかった。きくいも[#「きくいも」に傍点]が金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま洗《あら》ったばかりの布《ぬの》を外へ干《ほ》している。
わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン夫人《ふじん》といっしょに白鳥号に乗っている。
やがてまた目が閉《と》じた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにも覚《おぼ》えてはいなかった。
リーズ
目を覚《さ》ますとわたしは寝台《ねだい》の上にいた。大きな炉《ろ》のほのおがわたしのねむっている部屋《へや》を照《て》らした。わたしはついぞこの部屋を見たことがなかった。わたしを取り巻《ま》いて寝台のそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の背広《せびろ》を着て、木のくつをはいた男と、三、四人の子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。
わたしはひじで起き上がった。みんながそばへ寄《よ》って来た。
「ヴィタリスは」とわたしはたずねた。
「あの子は父さんを探《さが》しているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん総領《そうりょう》らしいのが言った。
「あの人は父さんではありません。親方です」とわたしは言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」
ヴィタリスがほんとうの父親であったなら、たぶんこの人たちもえ
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