れた十分の時間|以上《いじょう》をさようならを言うために費《ついや》したであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン夫人《ふじん》に手をさし延《の》べた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしの額《ひたい》にキッスしながらつぶやいた。
わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたを愛《あい》します」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたを忘《わす》れません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
わたしは手早くドアを閉《と》じて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
こうしてわたしは最初《さいしょ》の友だちから別《わか》れた。
ふぶきとおおかみ
またわたしは親方のあとについて痛《いた》い肩《かた》にハープを結《むす》びつけたまま、雨が降《ふ》っても、日が照《て》りつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日|流浪《るろう》して歩かなければならなかった。広場であほうの役を演《えん》じて、笑《わら》ったり泣《な》いたりして見せて、「ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》」のごきげんをとり結《むす》ばなければならなかった。
長い旅のあいだ再三《さいさん》わたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな小舟《こぶね》の船室をどんなに思い出したろう。それに木賃宿《きちんやど》のねどこのどんなに固《かた》いことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親の優《やさ》しい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
かれのわたしに対する様子はすっかり変《か》わっていた。かれはわたしの主人というより以上《いじょう》のものであるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは愛情《あいじょう》を求《もと》めていた。けれどもわたしにはそれをする勇気《ゆうき》がなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることを許《ゆる》さない人であった。
初《はじ》めは恐怖《きょうふ》がわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば尊敬《そんけい》に似《に》た感情《かんじょう》がかれとわたしをへだてていた。
わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな階級《かいきゅう》の人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを区別《くべつ》することができずにいたが、ミリガン夫人《ふじん》と二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、態度《たいど》でも様子でも、かれにはひじょうに高貴《こうき》なところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの見世物師《みせものし》というだけだし、ミリガン夫人《ふじん》は貴婦人《きふじん》である、それが似《に》かよったところがあるはずがないと思った。
だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことが確《たし》かになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に紳士《しんし》になることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな乱暴《らんぼう》な人間でも、その威勢《いせい》におされてしまうのであった。
だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言い得《え》ずにしまった。それは向こうから優《やさ》しいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン夫人《ふじん》のことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話の種《たね》になるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれからは一日も、ミリガン夫人の名前の口にのぼらない日はないようになった。
「おまえは好《す》いていたのだね、あのおくさんを」と親方が言った。「そうだろう、それはわたしもわかっている。あの人は親切であった。まったくおまえには親切であった。その恩《おん》を忘《わす》れてはならないぞ」
そのあとでかれはいつも言い足した。
「だがしかたがなかったのだ」
こう言う親方のことばを、初《はじ》めはわたしもなんのことだかわからなかった。するうちだんだんそれは、ミリガン夫人《ふじん》がそばへ置《お》きたいという申し出をこばんだことをさして言うのだとわかった。
親方がしかたがなかったと言ったとき、こういう考えになっていたのは確《たし》かであった。そのうえこのことばの中には後悔《こうかい》に似《に》た心持ちがふくまれていたように思われた。かれはアーサのそばにわたしを残《のこ》しておきたいと思ったのであろう。けれどそれはできないことだったというのである。
でもなぜかれがミリガン夫人《ふじん》の申し出を承知《しょうち》することができなかったか、よくはわからなかったし、あのとき夫人がくり返し言って聞かしてくれた説明も、あまりよくはわからずにしまったが、親方が後悔《こうかい》しているということがわかって、わたしは心の底《そこ》に満足《まんぞく》した。
もうこれでは親方も承知《しょうち》してくれるだろう。そうしてこれはわたしにとって大きな希望《きぼう》の目標《もくひょう》になった。
それにしても、なぜ白鳥号には出会わないのであろう。
それはローヌ川を上って行くはずであった。そうしてわたしたちはその川の岸に沿《そ》って歩いていた。
それで歩きながらわたしの目は両側《りょうがわ》を限《かぎ》っている丘《おか》や、豊饒《ほうじょう》な田畑よりも、よけい水の上に注がれていた。
わたしたちがアルルとか、タラスコンとか、アヴィニオン、モンテリマール、ヴァランス、ツールノン、ヴィエンヌなど、という町に着いたときに、いちばん先にわたしの行ってみるのは、波止場《はとば》か橋の上で、そこから川の上流を見たり、下流を見たり、わたしの目は白鳥号を探《さが》した。遠方に半分、深い霧《きり》にかくれてぼんやりした船のかげでも見つけると、それが白鳥号であるかないか、見分けられるほど大きくなるのを待つのであった。
でもそれはいつも白鳥号ではなかった。
ときどきわたしは思い切って船頭に聞いてみた。わたしの探《さが》す美しい船の模様《もよう》を話して、そういう船を見なかったかとたずねた。でもかれらはけっしてそういう船の通るのを見たことがなかった。
このごろでは親方も、わたしをミリガン夫人《ふじん》にわたそうと決心していた。少なくともわたしにはそう想像《そうぞう》されたから、もはやわたしの素性《すじょう》を告《つ》げたり、バルブレンのおっかあに手紙をやったりされるおそれがなくなった。そのほうの事件《じけん》は親方とミリガン夫人との間の相談《そうだん》でうまくまとめてくれるだろう。そう思って、わたしの子どもらしいゆめでいろいろに事件を処理《しょり》してみた。ミリガン夫人はわたしをそばに置《お》きたいと言うだろう。親方はわたしに対する権利《けんり》を捨《す》てることを承知《しょうち》してくれるだろう。それでいっさい事ずみだ。
わたしたちは何週間もリヨンに滞在《たいざい》していた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川と、ソーヌ川の波止場《はとば》に行ってみた。おかげでエーネー、チルジット、ラ・ギョッチエール、ロテル・デューなどという橋のことは、生えぬきのリヨン人同様によく知っていた。
しかしやはりわからなかった。とうとう白鳥号を見つけることはできなかった。
わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン夫人《ふじん》に二度と会う希望《きぼう》を捨《す》てなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール川に出るには、これより先へ川を上って行くことのできないことを知ったからであった。船はシャロンのほうへ別《わか》れて行ったのであろう。そう思ってわたしたちはシャロンに着いたが、やはり船を見ることなしにまた進まなければならなかった。これがわたしの夢想《むこう》の結末《けつまつ》であった。
いよいよいけなくなったことは、冬がいまや目近《まぢか》にせまってきたことであった。わたしたちは目も見えないような雨とみぞれの中をみじめに歩き回らなければならなかった。夜になってわたしたちがきたない宿屋《やどや》かまたは物置《ものお》き小屋《ごや》につかれきってたどり着くと、もうはだまで水がしみ通って、わたしたちはとても笑顔《えがお》をうかべてねむる元気はなかった。
ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれて骨《ほね》までもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつも情《なさ》けない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
親方の目的《もくてき》は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居《しばい》をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
道みちの町や村でも、日和《ひより》のつごうさえよければ、ちょっとした興行《こうぎょう》をやって、いくらかでも収入《しゅうにゅう》をかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
シャチヨンをたってから、冷《つめ》たい雨の降《ふ》ったあとで、風は北に変《か》わった。
もういく日かしめっぽい日が続《つづ》いたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。そこは大きい町だから、ひじょうに悪い天気で五、六|日《にち》逗留《とうりゅう》しても、少しは興行《こうぎょう》を続《つづ》けて回る見こみがあった。「早くとこにおはいり」とその晩《ばん》宿屋《やどや》に着くと親方は言った。「あしたはなんでも早くからたつのだ……だが雪に降《ふ》りこめられてはたまらないなあ」
でもかれはすぐにはとこにはいらなかった。台所の炉《ろ》のすみにこしをかけて、寒《さむ》さでひどく弱っているジョリクールを暖《あたた》めていた。さるは毛布《もうふ》にくるまっていても、やはり苦しがって、うめき声をやめなかった。
あくる日の朝、わたしは言いつけられたとおり早く起きた。まだ夜が明けてはいなかった。空はまっ暗な雲が低《ひく》く垂《た》れて、星のかげ一つ見えなかった。ドアを開けると、はげしい風がえんとつにふき入って、危《あぶ》なくゆうべ灰《はい》の中にうずめたほだ
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