した。わたしはこの美しい婦人《ふじん》の前では一種《いっしゅ》のおそれを感じたけれども、貴婦人《きふじん》はひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにも優《やさ》しかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。
 そこでわたしは貴婦人《きふじん》に向かって、ヴィタリスとわたしが別《わか》れたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを保護《ほご》するために、刑務所《けいむしょ》に連《つ》れて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。
 わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。
「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。
 このことばを動物たちはよく知っていて、犬は喜《よろこ》んでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。
「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。
 貴婦人《きふじん》は聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。
「おかけ」と貴婦人は言った。
 わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへ置《お》いて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
 わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまに平《たい》らげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
 けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要《ひつよう》もなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
 わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人《きふじん》は言った。
 アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張《みは》ってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんに腹《はら》をすかしきっていた。肉をぬすんで少しは腹《はら》にこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯《ひるめし》はどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
 アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかを求《もと》めているらしかったが、それを母親は初《はじ》めのうち承知《しょうち》したがらないように見えた。
 するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
 わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問《しつもん》にめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人《きふじん》がくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだを結《ゆわ》えつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄《かんごく》にはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日|芸《げい》をしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちに務《つと》めてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
 船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしの久《ひさ》しい望《のぞ》みであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
 わたしは貴婦人《きふじん》の手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女は優《やさ》しく言った。
 かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
 わたしは楽器《がっき》を手に取って、船のへさきのほうへ行って、静《しず》かにひき始《はじ》めた。
 貴婦人《きふじん》はふとくちびるに小さな銀《ぎん》の呼子《よぶこ》ぶえを当てて、するどい音《ね》を出した。
 わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
 自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心《ふあんしん》らしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
 まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟《こぶね》は、そろそろと岸《きし》をはなれて、堀割《ほりわり》の静《しず》かな波を切ってすべって行った。両側《りょうがわ》には木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
 頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。


     最初《さいしょ》の友だち

 アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人《ふじん》と言った。後家《ごけ》さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情《じじょう》のもとに、長男をなくした。
 その子は生まれて六月《むつき》目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人《ふじん》はじゅうぶんの探索《たんさく》をすることのできない境遇《きょうぐう》であった。かの女の夫《おっと》は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識《いしき》を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン氏《し》はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを探《さが》させたが、結局《けっきょく》行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産《ざいさん》を相続《そうぞく》するつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏《し》は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人《ふじん》の夫《おっと》の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏《し》は財産《ざいさん》を相続《そうぞく》することになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言《よげん》はなかなか実現《じつげん》されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病《やまい》という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護《かんご》の力であった。
 最後《さいご》の病は腰疾《ようしつ》(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結《ゆわ》えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱《きうつ》と空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色《けしき》は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人《きふじん》とむすこについて、わたしはこれだけのことを残《のこ》らず、初《はじ》めての日に聞《き》いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋《へや》と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七|尺《しゃく》(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九〜一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋《へや》におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装《いしょう》戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台《ねだい》とふとんとまくらと毛布《もうふ》とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけ[#「はけ」に傍点]やくし[#「くし」に傍点]やいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台《ねだい》にねむることをどんなにわたしは喜《よろこ》んだであろう。生まれて初《はじ》めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固《かた》くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人《ろうじん》とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿《きちんやど》にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
 わたしはあくる朝早く起きた。一座《いちざ》の連中《れんじゅう》が一晩《ひとばん》どんなふうに過《す》ごしたか知りたかったからである。
 見るとかれらはみんなまえの晩《ばん》入れてやった所にいて、このきれいな小舟《こぶね》はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目《かため》を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度|腹《はら》を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連《つ》れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示《しめ》していたのであった。
 わたしはなぜかれを甲板《かんぱん》の上に置《お》いて行かなければならなかったか、そのわけを説明《せつめい》することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
 初《はじ》めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変《か》わりやすい性質《せいしつ》だけに、なにかほかのことに考えが移《うつ》って、手まねで、よし、外へ散歩《さんぽ》に連《つ》れて行くなら、か
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