きれに割って一きれずつめいめいに分けた。
 わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり満腹《まんぷく》してしまったとき、わたしたちはやはり腹《はら》がすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って背嚢《はいのう》の中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少し残《のこ》っていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお菓子《かし》であった。
 このごちそうがけっして食後の卓上演説《たくじょうえんぜつ》を必要《ひつよう》とするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど仲間《なかま》の者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの首領《しゅりょう》ではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることを望《のぞ》むだけの威望《いぼう》の足《た》りないことを感じていた。
 カピはおそらくわたしの意中を察《さっ》したのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。
「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせを伝《つた》えなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」
「ワウ」とカピがほえた。
「これは親方のためにも困《こま》ったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」
 この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》』から金を集めて回るときにすることであった。
「ああ、おまえは芝居《しばい》をやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」
 こういったわたしのことばが、残《のこ》らずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの趣意《しゅい》は飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか大事件《だいじけん》が起こったことを知っていた。それでその説明《せつめい》をわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせた残《のこ》らずを理解《りかい》しなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには満足《まんぞく》していた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、満足《まんぞく》の意味を表していた。
 いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の仲間《なかま》だけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることが望《のぞ》めなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの演説《えんぜつ》の初《はじ》めの部分だけはかれも殊勝《しゅしょう》らしくたいへん興味《きょうみ》を持って傾聴《けいちょう》していたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを侮辱《ぶじょく》したならば、わたしの自尊心《じそんしん》はずいぶん傷《きず》つけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。
 けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして無理《むり》はなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの現在《げんざい》の位置《いち》の重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。
 しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる青天井《あおてんじょう》の下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買う銭《ぜに》をいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。
 小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
 びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことは望《のぞ》めないが、村が小さければ巡査《じゅんさ》に出会うことも少なかろうと考えた。
 わたしはさっそく一座《いちざ》の服装《ふくそう》を整《ととの》えて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした風采《ふうさい》がなかった。軍楽隊《ぐんがくたい》の隊長《たいちょう》のようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしには背《せい》の高いという利益《りえき》もないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。
 行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう効果《こうか》を村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――と情《なさ》けないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。
 ちょっとした広場のまん中に泉《いずみ》があって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。
 わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、拍子《ひょうし》に合わせてくるくる回り始めた。
 けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女が編《あ》み物《もの》をしたり、おしゃべりをしているのを見た。
 わたしはひき続《つづ》けた。ゼルビノとドルスはおどり続《つづ》けた。
 一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。
 わたしはあくまでひき続《つづ》けた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。
 けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。
 ふと一人、ごく小さい子が初《はじ》めて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
 きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間《なかま》が出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
 わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりは静《しず》かにひいた。そうして少しでもそばへ引《ひ》き寄《よ》せようとした。両手を延《の》ばして、片足《かたあし》ずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿《すがた》の見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
 でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへ呼《よ》び返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
 きっとこのへんの人は、ダンスも音楽も好《す》かないのだ。きっとそんなことであった。
 わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしの好《す》きな小唄《こうた》を歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
 二|節《せつ》目の終わりになったとき、背広《せびろ》を着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
 とうとうやって来たな。
 わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
 わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへ寄《よ》って来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う許可《きょか》を得《え》たか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと拘引《こういん》するぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、農林監察官《のうりんかんさつかん》を知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
 ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官《けいかん》や監察官《かんさつかん》に反抗《はんこう》すると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令《めいれい》をくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
 こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。
 五分とたたないうちに、わたしはこの人情《にんじょう》のない、そのくせいやに監視《かんし》の行き届《とど》いている村をはなれた。
 犬たちは頭《かしら》を垂《た》れて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。
 カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いては例《れい》のりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの位置《いち》に置《お》かれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな無作法《ぶさほう》をするには、あんまりよくしつけられていた。
 かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで満足《まんぞく》していた。
 ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしは初《はじ》めてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りに輪《わ》を作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。
 わたしはかれらがわからずにいることを、ここで説明《せつめい》してやらなければならなかった。「わたしたちは興行《こうぎょう》の許可《きょか》を得《え》ていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。
「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。
「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、晩飯《ばんめし》なしに歩くのだ」
 晩飯《ばんめし》ということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーの銭《ぜに》を見せた。
「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの朝飯《あさめし》になにも残《のこ》らない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。
 カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、効《き》き目《め》がなかった。
「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは忠実《ちゅうじつ》なカピに言った。
 カ
前へ 次へ
全32ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
マロ エクトール・アンリ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング