、なんにもない。夕飯《ゆうはん》にはなにもないのか」とかれは台所を見回した。
「バターがあるぞ」
かれは天井《てんじょう》をあお向いて見た。いつも塩《しお》ぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。
「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どら焼《や》きなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」
どら焼きをなべから出してしまえというのだ。
でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご亭主《ていしゅ》の言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主は炉《ろ》のすみのいすにこしをかけていた。
わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動き得《え》なかった。食卓《しょくたく》に背中《なか》を向けたまま、わたしはかれの顔を見た。
かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右の肩《かた》のほうへ曲がっていた。かたわにな
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