は、飢《う》えて死ぬことはないはずだ。
 それにうちの雌牛は、なにより仲《なか》よしのお友だちであった。わたしたちが話をしたり、その背中《せなか》をさすってキッスをしてやったりすると、それはよく聞き分けて、優《やさ》しい目でじっと見た。つまりわたしたちはおたがいに愛《あい》し合っていたと言えば、それでじゅうぶんだ。
 けれどもいまはその雌牛《めうし》とも、わたしたちは別《わか》れなければならなかった。『雌牛を売る』それでなければ、もうご亭主《ていしゅ》を満足《まんぞく》させることはできなかった。
 そこでばくろう(馬売買の商人)がやって来て、細かく雌牛のルセットをいじくり回した。いじくり回しながらしじゅう首をふって、これはまるで役に立たない。乳《ちち》も出ないしバターも取れないと、さんざんなんくせをつけておいて、つまり引き取るには引き取るが、それもおっかあが正直な、いい人で気のどくだから、引き取ってやるのだというのであった。
 かわいそうに、ルセットも、自分がどうされるかさとったもののように、牛小屋から出るのをいやがって鳴き始めた。
「後ろへ回って、たたき出せ」とばくろうはわたしに言って、首の回りにかけていたむちをわたした。
「いいえ、そんなことをしてはいけない」とおっかあはさけんだ。
 それでルセットのはづな(馬の口につけて引くつな)をつかまえながら、優《やさ》しく言った。
「さあ、おまえ出ておくれ。ねえ、いいかい」
 ルセットはそれをこばむことができなかった。それで往来《おうらい》へ出ると、ばくろうはルセットを車の後ろにしばりつけた。馬がとことこかけだすと、ルセットはいやでもあとからついて行かなければならなかった。
 わたしたちはうちの中にはいったが、しばらくのあいだまだルセットの鳴き声が聞こえていた。
 もう乳《ちち》もなければバターもない。朝は一きれのパン、晩《ばん》は塩《しお》をつけたじゃがいものごちそうであった。
 雌牛《めうし》を売ってから四、五日すると、謝肉祭《しゃにくさい》が来た。一年まえのこの日には、バルブレンのおっかあが、わたしにどら焼《や》きと揚《あ》げりんごのごちそうをこしらえてくれた。それでたくさんわたしが食べると、おっかあはごきげんで、にこにこしてくれた。
 けれどそのときは揚《あ》げ物《もの》の衣《ころも》がパン粉《こ》をとかす乳《ちち》や、揚げ物の油のバターをくれるルセットがいた。
 もうルセットもいない、乳《ちち》もない、バターもない、これでは、謝肉祭《しゃにくさい》もなにもないと、わたしはつまらなそうに独《ひと》り言《ごと》を言った。
 ところがおっかあはわたしをびっくりさせた。おっかあはいつも人から物を借《か》りることをしない人ではあったが、おとなりへ行って乳《ちち》を一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、わたしがお昼ごろうちへ帰って来ると、おっかあは大きな土《ど》なべにパン粉《こ》をあけていた。
「おや、パン粉」とわたしはそばへ寄《よ》って言った。
「ああ、そうだよ」と、おっかあはにっこりしながら答えた。「上等なパン粉だよ、ご覧《らん》、ルミ、いいかおりだろう」
 わたしはこのパン粉《こ》をなんにするのか知りたいと思ったが、それをおしてたずねる勇気《ゆうき》がなかった。それにきょうが謝肉祭《しゃにくさい》だということを思い出させて、おっかあをふゆかいにさせたくなかった。
「パン粉《こ》でなにをこさえるのだったけね」とおっかあはわたしの顔を見ながら聞いた。
「パンさ」
「それからほかには」
「パンがゆ」
「それからまだあるだろう」
「だって……ぼく知らないや」
「なあに、おまえは知っていても、かしこい子だからそれを言おうとしないのだよ。きょうが謝肉祭《しゃにくさい》で、どら焼《や》きをこしらえる日だということを知っていても、バターとお乳《ちち》がないと思って、言いださずにいるのだよ。ねえ、そうだろう」
「だって、おっかあ」
「まあとにかく、きょうのせっかくの謝肉祭《しゃにくさい》を、そんなにつまらなくないようにしたつもりだよ。このはこの中をご覧《らん》」
 わたしはさっそくふたをあけると、乳《ちち》とバターと卵《たまど》と、おまけにりんごが三つ、中にはいっていた。
 わたしがりんごをそぐ(小さく切る)と、おっかあは卵《たまご》を粉《こな》に混《ま》ぜて衣《ころも》をしらえ、乳《ちち》を少しずつ混ぜていた。
 衣がすっかり練《ね》れると、土《ど》なべのまま、熱灰《あつばい》の上にのせた。それでどら焼《や》きが焼け、揚《あ》げりんごが揚がるまでには、晩食《ばんしょく》のときまで待たなければならなかった。正直に言うと、わたしはそれからの一日が、それはそれは待ち遠しくって、
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