はその晩《ばん》一晩じゅううちをはなれないので話す機会《きかい》がなかった。
 すごすごねどこにもぐりながら、あしたは話してみようと思っていた。
 けれどそのあくる日起き上がると、おっかあの姿《すがた》が見えない。わたしがそのあとを追ってうちじゅうをくるくる回っているのを見て、なにをしているとバルブレンは聞いた。
「おっかあ」
「ああ、それなら村へ行った。昼過《ひるす》ぎでなければ帰るものか」
 おっかあはまえの晩《ばん》、村へ行く話はしなかった。それでなぜというわけはないが、わたしは心配になってきた。わたしたちが昼過ぎから出かけるというのに、どうして待っていないのだろう。わたしたちの出かけるまえにおっかあは帰って来るかしらん。
 なぜというしっかりしたわけはないのだが、わたしはたいへんおどおどしだした。
 バルブレンの顔を見るとよけいに心配が積《つ》もるばかりであった。その目つきからにげるためにわたしは裏《うら》の野菜畑《やさいばたけ》へかけこんだ。
 畑といってもたいしたものではなかった。それへなんでもうちで食べる野菜物《やさいもの》は残《のこ》らずじゃがいもでもキャベツでも、にんじんでも、かぶでも作りこんであった。それはちょっとの空き地もなかったのであるが、それでもおっかあはわたしに少し地面を残《のこ》しておいてくれたので、わたしはそこへ雌牛《めうし》を飼《か》いながら野でつんで来た草や花を、ごたごた植えこんだ。わたしはそれを『わたしの畑』と呼《よ》んでだいじにしていた。
 わたしがいろいろな草花を集めては、植えつけたのは去年の夏のことであった。それが芽《め》をふくのはこの春のことであろう。早ざきのものでも冬の終わるのを待たなければならなかった。これから続《つづ》いておいおい芽を出しかけている。
 もう黄ずいせんもつぼみを黄色くふくらましていたし、リラの花も芽を出していた。さくらそうもしわだらけな葉の中からかわいいつぼみをのぞかせている。
 どんな花がさくだろう。
 それを楽しみにして、わたしは毎日出てみた。
 それからまたわたしのだいじにしていた畑の一部には、だれかにもらっためずらしい野菜《やさい》を植えている。それは村でほとんど知っている者のない『きくいも』というものであった。なんでもいい味のもので、じゃがいもと、ちょうせんあざみと、それからいろいろの野菜《やさい》をいっしょにした味がするのであった。わたしはそっとこの野菜をじょうずに作って、おっかあをおどろかそうと思っていた。ただの花だと思わせておいて、そっと実のなったところを引きぬいて、ないしょで料理《りょうり》をして、いつも同じようなじゃがいもにあきあきしているおっかあに食べさせて、『まあルミ、おまえはなんて器用《きよう》な子だろう』と感心させてやろう。
 こんなことを思い思いこのときも、まだ芽《め》が出ないかと思って、種《たね》のまいてある地べたに鼻をくっつけて調べていた。ふと気がつくとバルブレンがかんしゃく声で呼《よ》びたてているので、びっくりしてうちへはいった。まあどうだろう。おどろいたことには、炉《ろ》の前にヴィタリス老人《ろうじん》と犬たちが立っているではないか。
 すぐとわたしはバルブレンがわたしをどうするつもりだということがわかった。老人がやはりわたしを連《つ》れて行くのだ。それをおっかあがじゃましないように村へ出してやったのだ。
 もうバルブレンになにを言ってみてもむだだということがわかっているから、わたしはすぐと老人《ろうじん》のほうへかけ寄《よ》った。
「ああ、ぼくを連《つ》れて行かないでください。後生《ごしょう》ですから、連れて行かないでください」とわたしはしくしく泣《な》きだした。
 すると老人《ろうじん》は優《やさ》しい声で言った。「なにさ、ぼうや、わたしといればつらいことはないよ。わたしは子どもをぶちはしない。仲間《なかま》には犬もいる。わたしと行くのがなぜ悲しい」
「おっかあが……」
「どうせきさまはここには置《お》けないのだ」とバルブレンはあらあらしく言って、耳を引《ひ》っ張《ぱ》った。
「このだんなについて行くか、孤児院《こじいん》へ行くか、どちらでもいいほうにしろ」
「いやだいやだ、おっかあ、おっかあ」
「やい、それだとおれはどうするか見ろ」とバルブレンがさけんだ。「思うさまひっぱたいて、このうちから追い出してくれるぞ」
「この子は母親に別《わか》れるのを悲しがっているのだ。それをぶつものではない。優《やさ》しい心だ。いいことだ」
「おまえさんがいたわると、よけいほえやがる」
「まあ、話を決めよう」
 そう言いながら、老人《ろうじん》は五フランの金貨《きんか》を八|枚《まい》テーブルの上にのせた。バルブレンはそれをさらいこむよ
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