であるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは愛情《あいじょう》を求《もと》めていた。けれどもわたしにはそれをする勇気《ゆうき》がなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることを許《ゆる》さない人であった。
初《はじ》めは恐怖《きょうふ》がわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば尊敬《そんけい》に似《に》た感情《かんじょう》がかれとわたしをへだてていた。
わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな階級《かいきゅう》の人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを区別《くべつ》することができずにいたが、ミリガン夫人《ふじん》と二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、態度《たいど》でも様子でも、かれにはひじょうに高貴《こうき》なところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの見世物師《みせものし》というだけだし、ミリガン夫人《ふじん》は貴婦人《きふじん》である、それが似《に》かよったところがあるはずがないと思った。
だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことが確《たし》かになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に紳士《しんし》になることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな乱暴《らんぼう》な人間でも、その威勢《いせい》におされてしまうのであった。
だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言い得《え》ずにしまった。それは向こうから優《やさ》しいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン夫人《ふじん》のことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話の種《たね》になるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれから
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