れた十分の時間|以上《いじょう》をさようならを言うために費《ついや》したであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン夫人《ふじん》に手をさし延《の》べた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしの額《ひたい》にキッスしながらつぶやいた。
わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたを愛《あい》します」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたを忘《わす》れません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
わたしは手早くドアを閉《と》じて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
こうしてわたしは最初《さいしょ》の友だちから別《わか》れた。
ふぶきとおおかみ
またわたしは親方のあとについて痛《いた》い肩《かた》にハープを結《むす》びつけたまま、雨が降《ふ》っても、日が照《て》りつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日|流浪《るろう》して歩かなければならなかった。広場であほうの役を演《えん》じて、笑《わら》ったり泣《な》いたりして見せて、「ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》」のごきげんをとり結《むす》ばなければならなかった。
長い旅のあいだ再三《さいさん》わたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな小舟《こぶね》の船室をどんなに思い出したろう。それに木賃宿《きちんやど》のねどこのどんなに固《かた》いことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親の優《やさ》しい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
かれのわたしに対する様子はすっかり変《か》わっていた。かれはわたしの主人というより以上《いじょう》のもの
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