|閉《と》じこもることができた。これはわたしが白鳥号に乗り合わせて以来《いらい》初《はじ》めてのふゆかいな晩《ばん》であった。それはおそろしくふゆかいな、長い熱病《ねつびょう》をわずらったような心持ちであった。わたしはどうしたらいいだろう。なんと言えばいいのだ。
 たぶん親方はわたしを手放さないであろう。それなればかれらはどうしたってほんとうのことは知らずにいよう。かれらは、わたしの捨《す》て子《ご》だということを知らずにすむだろう。素性《すじょう》を知られることについてのわたしの羞恥《しゅうち》と恐怖《きょうふ》があまりひどかったので、もうアーサ母子《おやこ》と別《わか》れても、しかたがない。ヴィタリスがなんでも自分といっしょに来いと主張《しゅちょう》することを希望《きぼう》し始めたくらいであった。そうなれば少なくともかれらはこののちわたしを思い出すたんびにいやな気がしないであろう。
 それから三日たってミリガン夫人《ふじん》はヴィタリスに送った手紙の返事を受け取った。かれは夫人の文意をよくくんで、向こうから来てかの女に会おうと言って来た。つぎの土曜日の二時の汽車で、セットへ着くはずにするからと言って来た。わたしは犬たちとジョリクールを連《つ》れて、かれに会いに停車場《ていしゃじょう》まで行くことを許《ゆる》された。
 その朝になると、犬たちはなにか変《か》わったことでも起こると思ったか、ひどくはしゃいでいた。ジョリクールだけは知らん顔をしていた。わたしはひじょうに興奮《こうふん》していた。きょうこそわたしの運命が決められる日であった。わたしに勇気《ゆうき》があったら、親方にたのんで捨《す》て子《ご》だということをミリガン夫人《ふじん》に言ってもらわないようにたのむことができたであろう。けれどもわたしはかれに対してすら『捨《す》て子《ご》』ということばを口に出して言うことができないような気がしていた。わたしは犬をひもでつないで、ジョリクールは上着の下に入れて、停車場《ていしゃじょう》の片《かた》すみに立って待っていた。わたしは身の回りに起こっていることはほとんど目にはいらなかった。汽車の着いたことを知らせてくれたのは犬であった。かれらは主人のにおいをかぎつけた。
 ふとわたしのおさえているひもを前に引くものがあった。わたしはうっかり見張《みは》りをゆるめていたので
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