、いまのうち物を習う習慣《しゅうかん》をつけておいて、いつか回復《かいふく》したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心《ねっしん》がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は喜《よろこ》んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械《きかい》のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを空《くう》にくり返しているというだけであった。
そういうわけでむすこに失望《しつぼう》した母親の心には、絶《た》え間《ま》のない物思いがあった。
だから、アーサがいまたった半時間でお話を覚《おぼ》えて、一時をちがえず暗唱《あんしょう》して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人《ふじん》やアーサと過《す》ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
アーサはわたしに熱《あつ》い友情《ゆうじょう》を寄《よ》せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情《どうじょう》からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人《ふじん》の行《ゆ》き届《とど》いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から晩《ばん》までわたしの心はいつも充実《じゅうじつ》しきっていた。
鉄道ができて以来《いらい》、フランス南部地方の運河《うんが》を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
わたしたちはローラゲーのヴィー
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