しょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、覚《おぼえ》えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
 ミリガン夫人《ふじん》は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱《あんしょう》しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑《びしょう》にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が泣《な》いていたかどうか確《たし》かではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ飼《か》いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた節《ふし》まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
 今度こそミリガン夫人《ふじん》はほんとうに泣《な》いていた。なぜならかの女が席《せき》を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人《ふじん》はわたしのそばに寄《よ》って、わたしの手を自分の手の中におさえて、優《やさ》しくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿《やど》なしのこぞうで、一座《いちざ》の犬やさるたちを連《つ》れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業《かぎょう》のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手《あいて》になり、ほとんど友だちになったのである。
 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人《ふじん》は実際《じっさい》このむすこの物覚《ものおぼ》えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから
前へ 次へ
全160ページ中100ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
マロ エクトール・アンリ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング