《おぼ》えるのがなかなか困難《こんなん》であるらしく見えた。しじゅう母親は優《やさ》しく責《せ》めていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後《さいご》に言った。「アーサ、あなたはまるで覚《おぼ》えていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは泣《な》くように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは好《す》きません」
 これはずいぶん残酷《ざんこく》なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで優《やさ》しい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんな情《なさ》けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは泣《な》きだした。
 けれどもミリガン夫人《ふじん》は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を覚《おぼ》えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人|置《お》き去りにしたまま向こうへ行った。
 わたしの立っていた所までかれの泣《な》き声《ごえ》が聞こえた。
 あれほどまでに愛《あい》しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格《げんかく》になれるのであろう。アーサの覚《おぼ》えられないのは病気のせいなのだ。かの女は優《やさ》しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
 しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句《もんく》をくり返した。
 三度|初《はじ》めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
 けれどもまもなく目を本からはなした。か
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